芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • ボストン美術館 パリジェンヌ展 世田谷美術館
    世田谷美術館に行くのは2005年の「ゲント美術館名品展」以来なので、十年以上振りです。
    前回の記憶がないのですが、アクセスしづらいですね。

    18世紀以降のパリの女性の生活、風俗等にフォーカスした展覧会です。
    名古屋、東京、広島と巡回します。

    本展では、妻、母親、労働者、社交界で活躍する女性…とさまざまな役割、視点からの作品、資料が並び、その時々の歴史や場面においてパリジェンヌがどのように生き、またどのような姿でとらえられていたかを比較しながら見ることができます。
    19-20世紀においては、流行を発信する自律した女性のイメージがありますが、社交界で活躍したり、流行を着飾り文化を発信したりする役割もパリジェンヌならではでしょう。貴族、プチブル、芸術家、女優など文化をリードしたパリジェンヌを数えていっても、同時代で比較して群を抜いています。このような文化が長くに渡り、ヨーロッパ各国、またアメリカに及ぼした影響は大きいです。

    絵画では、ヴィンターハルターやサージェントらの肖像画、マネの「街の歌い手」などがあります。マネは依然にも日本にも来ました(三菱一号館)。
    トマ・クチュールもありました(こちらも以前見たような気が)。
    版画、写真、ポスター、テキスタイル等々、いろいろな形式の作品があるので、油彩はそこまで多くはないですが、秀作が多くそろっていたと思います。

    この展覧会で示されたパリジェンヌの姿は無数にあるうちのいくつかです。パリジェンヌやその文化の多様性を理解する手がかりとなる企画展といえます。
    ジェーン・オースティン 『説得』
    久しぶりにオースティンを読みました。
    『説得』('Persuasion')で、これはオースティンの死の前年に完成し、死後出版された遺作とのことです。

    以前に感想を書いた、『マンスフィールド・パーク』よりも話は短く、入り組んだ印象はないのですが、物語前半の構成は同様に退屈であり、何回か読み進めては放棄し読了に時間がかかってしまいました。
    『高慢と偏見』、『マンスフィールド・パーク』と大きく言えば同様のテーマや情感を描いているので、やや、またこれか、という感じを受けないわけでもありません。
    構成、展開も非常に似たテーマ性があり、男女間の表面的な思い込みや一方的な価値・評価の付与から、真の理解・和解の段階を経て、そして結婚へと至る工程が描かれていることも挙げられます。
    また、その過程で、高評価をしていた人物が実は全く別の人物だったという暴露(もっといえば作者という高見からなされる、エピローグでの強引なつじつま合わせ)が、これも『マンスフィールド・パーク』ばりに散見されるので、オースティンの様式美になっている趣も感じました(父親が娘アンには愛情がなかった、という記述も登場します)。

    上記2作品同様に、『説得』も、主人公アンと過去の婚約相手ウェントワースが出てきた時点で、物語の結末はおおよそ分かってしまいますが、曲道を経ながら大団円へと至る道筋、アンの感情や相手への期待の揺れ動きを楽しむのが本作への接し方かと思います。
    アンは準男爵家の出で、結婚相手は好きに選べませんし、自分にも良家の娘という自負もある。そして父親や母親代わりのラッセル夫人からのお目付けもある。そういった出自・アイデンティティや制約・しがらみのある中で「説得させられたり」、自制しながら生きていくわけですが、何が最善の結果かも分からずに立場や状況において選択肢をとりあえずのところ選び(あるいは選ばされ)生きていくしかない。その過程には無数の並行した世界の結果があることを示唆しており、それらに思いをはせたり現状に納得しながらなお暮らしは続いていく。アンは過去周囲に説得されて婚約を破棄した結果も最終的には受け入れて、紆余曲折を経た強さをもってウェントワースとともに人生を歩んでいく内容となっています。
    アンが説得に屈せずにウェントワースと結婚する、チャールズ・マスグロウブと結婚する、ウィリアム・ウォルター・エリオットと結婚する、などいくつかの可能性が作中示唆されていますが、それをせずに適齢期を逃しつつも、最終的には過去の説得とその結果の破談を受け入れ、かつ今度はそれを乗り越えて自ら選択しなかった選択肢を改めて選択し幸せをつかんだアンの実直さはこの小説のハイライトになっています。
    ナショナルポートレイトギャラリー
    ロンドン、ナショナルギャラリーの一角を占める、肖像画専門の美術館です。

    常設展示は、絵画をメインに、写真や彫刻の展示もあります。
    時系列に沿って、歴史上の人物や近現代の著名人の肖像を鑑賞することができます。
    中世の肖像画は王侯貴族ばかりなので、英国王朝、ヨーロッパ史等に自信がないと少し退屈かもしれません。
    ただし、近代のコーナーになってくると、J.E.ミレイら有名画家が手がけた作品や、著名な作家、政治家の肖像画がでてくるので、楽しめると思います。
    やはり、ナショナルギャラリー同様、イギリスを代表する肖像画家であるジョシュア・レイノルズ、トマス・ローレンスらの肖像画は多数ありました。
    他、名の知られた画家では、J.S・サージェント、J.ティソ、F.レイトン、ワッツ、ヴィンターハルターなどの作品がありました。反対に、資料的価値の点で、無名画家の作品も結構ありました。
    公式サイトや美術館の専用端末でアーカイブされた作品を見られるようになっています。

    ここの美術館では公募展と思われるポートレイトアワードを開催しており、常設展示とは異なりかなりのにぎわいを見せていました(こちらも無料)。
    確かに、現代作家のクオリティの高い作品が集まっており面白かったです。

    地階に、ショップとカフェがありますが、カフェは結構良いのでおすすめです(美術館の写真がないので、カフェでのランチを載せておきます)。


    映画 女の一生
    原作 ギィ・ド・モーパッサン
    監督 ステファヌ・ブリゼ
    2016, フランス

    モーパッサンの傑作『女の一生』が映画化、ということで岩波ホールまで見てきました。
    簡単に感想を書きます。

    ナレーションや独白、説明調なセリフが排除されていて、かつ、映画的表現手法として、物語軸のほか現在と断片的回想が織り交じるので、正直言って予備知識なく初見で始まりから物語を諒解するのは少し難しいかな、と感じました。
    ジャンヌの結婚から老いまで、描くスパンも長いので、場面展開も早く、次のカットでは数年進んでいる、あるいは(過程抜きで)結果しか描写しない、ということもザラであり、ここも付いていかなければいけません。
    ※ただ、最後では小説同様、説明的、結末的なシーンが入るので、最後まで置いておかれるということはないです。
    ということで丁寧に小説的に事件や感情をなぞることはしていないので、そういう意味では、小説描写の客観的な映像化、PVのようにも感じました。悲劇的な事件とは逆の、幸せな回想シーンは悲哀を増します。

    個人的には小説の世界を現実的に映像化している点は評価できると思いました。
    上でも述べたようにナレーションだったり字幕だったりセリフだったりの説明を避け、回想(心象風景)や登場人物のやりとり・感情表現で場面を展開させている点も特徴的で、「一生(Une Vie)」の流れを感じさせました。
    ただ、ジャンヌが自身の外の人間の世界との折衝やそこでの挫折に苦悩するのは、彼女が少女時代を修道院で生活をしてきたことや、結婚やこれからの生活を理想化し夢想していたことが大きいわけです。
    プレーンな、一般的な人間が運悪く周りの不道徳な人間に裏切られたということだけでないことが重要なのだから、そういう部分をもうちょっと見せていれば、悲劇性や神の教え、最期の救いというものがよりクローズアップされたと思います。

    全体的には小説の各事件を大きく省くことなくテンポよく最後まで描写している点など、古典の映画化としては適切と思います。小説を読んでから見たい映画と思いました。
    怖い絵展 上野の森美術館
    中野京子著『怖い絵』刊行10周年を記念した企画展で、同書で紹介された絵画も出展されています。
    この展覧会、各種メディアやSNSなどで話題になったそうで珍しく若者も多く集まってかなりの賑わいを見せていました。私も混雑を察知して平日の午後に行きましたが、1時間以上待ちました。
    来場者に知られているような画家はかなり少なく、多くが19世紀のクラシカルな画家だと思いますが、これほどに盛況だったのは小難しいもの抜きの切り口、テーマ性によるものが大きく、話題の展覧会にグループで集まって鑑賞というのも多かったのでしょう。
    表に掲げられているポール・ドラロシュも、19世紀フランスのアカデミーの画家ですが、このように取り上げられなければ日本でも海外でも美術館では大方スルーされていますね。
    そのような意味でも展覧会の企画や見せ方、もっといえば広報や集客の仕方も大切なファクターということを改めて気づかされました。私のようにドラロシュというだけで食指を動かされる人間はわずかでしょうから。

    ただの怖い絵展というだけで超混雑であればスルーしてもよかったのですが、個人的にはドラロシュのほか、ほとんど鑑賞する機会のないJ.W.ウォーターハウスの絵画が出展されるということでマストな企画展でした。
    「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」はオールダム・ギャラリー所蔵ですが、イギリス、マンチェスター中心部からも遠いので、こういう機会がなければ見るのはほぼ不可能です。テイトの時にも書きましたが、タッチでの物体の構成力、表現力がすさまじく、ねっとりとした現代スーパーリアル絵画には醸し出すこのできないオーラがあります。
    他は、ファンタン=ラトゥール、ターナー、モロー、ワッツなどは有名どころで見どころでした。チャールズ・シムズという画家が何枚か出品されていてタッチや写実性から気になりました。正直ほかの画家は全然知らない画家が多く、テーマの分かりやすさとは異なってマニアックだなと感じました。
    これだけ集客力があるのであれば、本と同じに続編をやってもよいと思います。