芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • 自分にとっての社会はどこまでか? ―身の周りと「社会」との距離―
     最近しばしば気になることのひとつが、どこまでが自分の諒解する社会なのか、ということである。なぜなら、皆が議論する「社会」には自分がいない、と思わせることが時々あるからである。これは、最近のマスコミの報道の例を見ると大いに考えさせられるのである。
     極めて端的に例を挙げると、福知山線の脱線事故では、一分一秒を争い急いでいた体質が問題に、ライブドア事件では、お金ありきという「拝金主義」が問題になった。そのとき、コメンテーターを中心とするゲストや、街頭インタビューを中心に、自己反省のない、追求が目立ったように思う。勿論、事件になったことは大きな問題で、徹底的に解明し是正される必要がある。しかし、そこで問題になったことは、事件当事者だけのものではない。テレビに出てきた人は、「私は違うけれど」のような前置きをつけていて、批判しているように感じた。つまり、自分の身の回りの世界と事件になっている世界は別なのだという意識が見られた。
     繰り返すが、テレビで取り上げられていることと、自分のいる社会とが全く関係ないということは無い。必ず、そこで問題になっていることと自らは少なからず関係している。マスコミの「事件報道」という性格を考えても、問題を切り離し批判することで、それを自分たちいる世界に無いものとして描いている。これは、もうお気づきのことだろうが私たちの生活でも同じくみられることでもある。
     自分の周りを囲ってしまい、何か事が起きたときに、それだけを叩くことで、自分の内にある問題に眼をそむけては、真の解決にならない。何かしら、問題を解きほぐす方向へと進めるとしたら、問題になったことも、自分のいる社会のことだという意識を持って、包括的に議論することが必要であろう。この意味で、「自分いる社会」の意識を、どれだけ広く持てるか、ということがいろいろな問題に向き合う「社会人」に求められているように思う。いうまでもないことが、そうしないのなら、「社会人」として生きないのなら、お気楽に自分の世界で、それなりに楽しんでれば良いことであるが。
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    コメント
    この記事へのコメント
    いいね~!自分だけの意見だとすごく狭くなるけど、この意見はすごく参考になったぜ!
    2006/03/10(金) 08:37:22 | URL | つちつち #-[ 編集]
    つちつち君じゃん!まあ、どれもこれも認識論だからさ。とりあえずは、違う立場で物事を考えられるようになると、また違う認識も得られるよね。多分。
    2006/03/10(金) 13:13:10 | URL | webcat #-[ 編集]
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