芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • 『カシタンカ』チェーホフ


    未知谷,2004
    ナターリャ・デェミードヴァ/絵
    児玉宏子/訳

    キツネそっくりの犬・カシタンカの短い冒険?を描いた、チェーホフによる短編小説です。
    チェーホフの没後100年を記念に出版されたメモリアルな一冊でもあり、訳、挿絵ともに新たにつくられています。
    短編ということ、題材も動物ということで、本当にさらっと読めてしまいますが、読み終えた後は、何ともいえない気持ちに包ませる問題提起をはらんだ作品だと思います。
    クラシカルだけど、キュートな挿絵で、ともすれば児童向けのような本にも見えてしまいますが、内容は実に大人な感じですね。
    カシタンカが見る人間の世界、動物たちの世界、そして何よりも犬であるカシタンカ自身にその断片が内包されています。
    チェーホフの作品というよりも、この時代のロシアの文学にはまったく疎い身ですが、これをきっかけに、このような手に取りやすい作品から触れていこうかなと、興味をおぼえるきっかけにもなりました。
    褐色のトーンで、陰を上手く画面に配し、それを心理的な表現まで持ってきている挿絵も素晴らしく、文と絵とで一冊の作品としての完成度を見せています。


    以下本書を読み終えた人向けに書きますので、ネタバレ満載です。
    **

    この本の一番の落としどころは、間違いなくクライマックスにあると思います。
    まずは、簡単に結末に至る流れを振り返ります。
    迷子になり指物師の主人と別れてしまったカシタンカは、衰弱しながらも、運よく「見知らぬ人」に助けられます。この新しい主人は、優しく、食べ物もきちんと与えてくれる人で、まともな食事もあたえてくれず、怒鳴りつける前の飼い主とは別人です。彼との出会いから、カシタンカは「やせて骨ばかりのイヌから、いつも満腹で大事にされているイヌに変わった」のです。
    カシタンカは、「見知らぬ人」の家で、ガチョウのイワン、ネコのフョードル、ブタのハヴローニヤという仲間に出会います。「見知らぬ人」はサーカスのピエロを職業としており、動物の見世物を披露するために彼らに日々芸を仕込んでいるのです。
    「見知らぬ人」からこの一座に向かいいれられたカシタンカは、驚異的な実力を示し、「ほんものの天才」とまで呼ばれます。仲間に仕事とと、カシタンカは自分の居所を見つけたわけです。
    ここでの生活は、カシタンカにとって重要なものを与えていきます(イワンの死に立会い、仲間と気持ちを通ずるカシタンカ…)。

    イワンの代役としてついに舞台に立つことになったカシタンカですが、その舞台で、偶然にも元の飼い主を見つけます。ためらうことなしに、一気に飼い主めがけて走り、やっとのことで彼のいる二階席までたどり着きます。
    最後は、このような一文で終わります。

    それから、汚れた壁紙の部屋、ガチョウ、フョードル・チモフェーイチ、おいしい食事、お稽古、サーカスなどを思い浮かべました。でも今はでは、こうしたことすべてが、なんかこう長く、こんがらがった、重苦しい夢だったような気がしてきたのです……

    カシタンカは、「見知らぬ人」のところで、新しく、自分の居場所を、アイデンティティを獲得したはずです。優しい飼い主、立場を同じくする仲間、天才とまで認められた仕事。
    しかし、いったん、戻るべきところを見つけたカシタンカは、それらを何の躊躇もなく投げ捨てていってしまいます。この場面には何の打算も気持ちの揺れも描写されていません。そして、自分のいた場所、最期をみとった仲間、気持ち通わせた仲間、成功できた仕事を思い返して、懐かしむわけでも、感傷にひたるわけでもなく、上記の引用のように切り捨てているのです。
    「人間とおまえ〔カシタンカ=犬〕との違いは、指物師と大工の違いのようなもの」という指物師の飼い主の言葉が、冒頭と末尾に象徴的に現われますが、カシタンカはただの犬としては描かれていません。オーバーなくらいに感情豊かに描かれています。
    指物師に飼われていたカシタンカも、「見知らぬ人」のところで暮らしたカシタンカも、そしてクライマックスでのカシタンカも、別の存在というわけではなく、同じものの側面であると思います。「重苦しい夢」と比喩された、ピエロの家での生活におけるカシタンカも、側面は違うにせよ、同じカシタンカであって、そのときのカシタンカがおかしくなっていた、とか現在において否定されるべきものということではないはずです。
    こうした人間においても普通に観察しうる、複数の側面をカシタンカは呈示しているのであって、それは、「やっぱり元の主人の存在は絶対で、深い絆があったんだな」、といった安直なストーリーの飲みこみ易さとはかけはなれた、複雑性や反省を見せていると思います。このように考えてくるとラストの描写はより諒解性の面で問題が出てきます。

    動物として本能のままに行動したのか、犬だから忠義深かったのか、ただ暮らしぶりは現状のままが良かったのに…、本能だったら現状をとるのではないか、人間として描写されているなら両者を天秤にかけるはず、ただの犬だったら上記の一節はないし…、そもそも初めから犬としての表現で収まっていない、それに「見知らぬ人」のところの生活が物質的に豊かといっても労働メインの「ハンコで押したように」始まる日々だったわけだ、しかし彼の家での実に人間的な経験を簡単にどうでもよいものみたいに思えるのか、……。


    最後のカシタンカの行動と回想は、犬としても人間としても、自分には普通の行動には見えないのですが、ただカシタンカのまっすぐで、ある種超然とした姿が、爽快で魅力的に感じられてきます。
    もちろんカシタンカの行動と感情は、ありうるものとして理解できるし、実際にこのような経験を持った人もいるでしょう。個人的には、一匹の愛らしい犬の大胆不敵な行動に、純粋に、驚き(あるいは戸惑い)とともに、憧れと羨望の混じったような感覚を覚えました。読み方、感じ方はそれぞれに用意されていると思います。リフレクションを促す、という意味では事のほかパンチの効いた(危険な)一冊かもしれません。
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