芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    自己満足の哲学
    愛他主義が利己主義を含んでいるように、他者を含む全体満足も自己満足を当然ながら含んでいる。純粋な自己満足というのは中々難しいともいえそうだが、ここでは、満足の共有の割合が、大部分、個人意識に帰せられる、自己満足について少々考えよう。

    まず、なかなか気がつかないことかもしれないが、注目されるのが、自己満足の生む「推進力」の強さである。自己満足は、行為と動因の強い連関を持った、一つの閉じた系をつくる。一連の行為や意識の中には、躊躇や予断といったものは挟まれない。この見事にかみ合った歯車から、行為を推し進める強い力が生じるのである。
    自己満足は、このように、閉じた系をつくるので、一貫した、強固な自己意識をもつくる。自己満足の循環が保たれているとき、他者のまなざしは境界線を越えて自己意識に介入してくることはないので、アイデンティティに揺らぎが起こることもない。快を他の尺度で測ることは必要とされない。絶対的で、明確な尺度から、原因と結果の間の完全なフィードバックが可能となる。

    自己満足は、動機付けの自己補完のシステムとして見れる。だが、このような自己満足の純粋形態は長くは保たれない。ある満足が、個人意識の占める場所を次第に拡大しつつあるとき、自己満足の歯車の連動も失われつつあるのである。
    肥大した自己意識は、他者からの承認を求める。このとき、安定していたアイデンティティに、何かしらの異物が混入する。これは、社会的な動物である人間の宿命かもしれない。こうなったら、自己の行為を有意味化すること、これが第一の命題となる。つまるところ、自己満足の見事な、ささやかな、閉じた系は、自己意識の拡大と自己承認欲求を支えることはできないのである。自己満足の系は、他者への意識の中に分散してしまう。

    加えて、自己満足のサイクルは、行為と動機の強い連関を生むものである一方、常に「外側から」破壊されるリスクを背負っている。自己満足の形式に見られる強度の動員力は、ささいな刺激によって簡単に失われる。それは、他者の価値観が、その形式を軽く一撃すれば起こることである。自己意識に他者の価値観が混じることで、強固な求心力を持ったサイクルは一気に壊れる。これは誰しも疑似体験をしていることであろう。他人の、不躾な、あるいは根本をつく一言が、とても夢中になっていたことを、たちまち、何の味気ない、無意味なことに変貌させる。それは忘れられていた躊躇や予断を呼び起こすのである。概括的にいえば、ここでは自己満足の内容が問題なのである。自己満足を生じさせる内容、さらにいえば、主体の人格などは、自己満足の形式を探る上で重要なファクターである。

    自己満足は、このようにとても壊れ易いものである。外と内からの作用に耐え、一つの均衡点において持続する現象である。持続するといっても、ほとんど刹那的な現象だといってよいだろう。自己満足には一種の美学が存在する、といってもあながち笑い事でもないかもしれない。人々は、哲学論議上の均衡点を幻視して、その実現にやっきになっている。
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