芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • 「作品」をめぐる小考察
    ある事物があるとして、それが「作品」であると呼ばれる基準は何なのか。
    たとえば、絵画、写真、工芸などに分類されるものは、極言すればすべて「作品」と呼びうるかもしれない。だが、食器や家具は、あるいはパソコンや携帯電話は、などと考えると、あるものは「作品」と呼ばれていても、別のものはそう呼ばれない、呼ぶことをためらわれることがある。加えて「作品」と呼ばれていたものが、ある場面では「作品」という認識を受けないこともあるだろう。

    第一の観点として、「作品」は芸術と最も結びつくものであるから、人々の美的基準や、「芸術家」によってまぎれもなくつくられた、という事実などに基づいていると考えられる。
    だがやはりこれは本質的な要素ではないだろう。ここでいう「基準」や「芸術家」という認識や意識をつくっているものこそ本質的要素であるからである。しかし、つくられ、与えられた基準から分類が広がるわけであるから、この検討が不必要であることはない。
    それゆえ、まず美性や芸術性に整合するものが「作品」であり、それに反するものは「作品」ではないという分類が可能になる。「作品」について考えるために、不十分だがこのひとつの観点から少しばかり考えてみたい。

    美や芸術という枠組みは、前述したように本質的なものではなく、相対的なものであるから、ここから可能な限り一般性を取り出してみることが必要である。
    まずは特殊であることから生ずる価値‐いわゆる希少性、究極的には唯一性‐があると考えられる。そしてこの大部分をつくるのは個人の個別的意思、発想や想像に任せられている。対極として、社会生活を行なう上で沢山あるものは価値の薄いものとしてあらわれる。特殊的なものは自由な思考様式があるときに生まれるものだから、芸術的な領域と親和性を持っている。文筆は、文字情報としては幾つもつくれるものだが、それを生み出す想像が唯一という点で、特殊性と人為性をつなぐ根源的なものの一つである。また、特殊性は最終的には量的規定に依存するのだから、時間を経て失われていったものへの価値も生ずる。さらに、この特殊性は人為性以外にも結びつく。比喩的に、偶発的な自然現象などを「作品」または「芸術」と称するのもここに結びついている。附言すれば、個別的意思としての人為性が拡大解釈されれば、子供が何となく描いた絵も「作品」である。
    さらに、「作品」が手段的適応から逃れていることも指摘できる。何らかの手段として社会生活に組みこまれているものは、「作品」と距離を持つものである。この性質は、もちろん上記した量的規定にも結びついているが、手段としてあるものは、その目的へつなぐものとして統合され、下位として認識される。一枚何億する絵画をつくっているものを分解してある、絵具や画布、木枠はせいぜい数万しかしないように。この目的性はいうまでなく人為性の上にあるものである。子供の絵の例でいえば、ノートに落書きした絵とコンクールのために描いた絵を比較すればよい。また、陶芸や家具、衣服など、何らかの手段的要素を本質的に持っているものは、「作品」としての認知は手段性の強度とそこから生じる特殊性に拠っている。これは明確な仕切りはないから、その都度認識は変更される。
    最後に、‐これはもっとも基本的であるが、同時にもっとも不明確なものでもある‐社会的権威が付与されたものとしての「作品」のあり方を指摘しなければならない。これは広義であり、上の二つの要素を統合してしまうものでもある。しかし、純粋にそれが見られる場面として、美しくもない、日常にありふれているような、その上、「作品」をつくろうという意思も感じられないような偶然にまかせた、あるいは簡単な事物が、あるものがそれに関与したという事実だけで、「作品」になることがあることは確かである。このとき、そのものを「作品」たらしめているのは、その作者に与えられた社会的権威の一片である。小考察に留めるということから、このことについての詳説は省くが、あらたな美や芸術が一般性を獲得した美への対抗として表れてくる部分、そのような強い異質性を示すものへ価値観を見出そうとする人々のアイデンティティ形成からそれが受容される部分、という作り手と受け手の双方から考察することがここでは必要だろう。極例から考えたが、もちろん、ある作者がつくった十分に「作品」と呼びうるものが、他との比較で異常に評価されるというときも多く見られる。このとき、彼への評価は集合的なもので、受容者、同業者、博物館的施設、などの諸個人、集団の承認があるのであり、社会的権威は上の例のように局部的にあらわれるのではないから、「作品」の中でも突出的な評価を得ることになる。このような例から見ると、「作品」としての特性が社会的権威の強度であらわれることが分かる。そして、その強度によれば、「作品」とは到底呼べないものでも「作品」になってしまう。包括的なものだが、美や芸術が社会的権威のもとで形成されることも述べておかなければならない。

    あるものが、場面によって、人によって、時代によって、「作品」であったり、なかったりする。このようなものの承認をめぐる分岐点は個人とそれをつくる社会の一つの指標として興味深い。
    以上で述べたことは、もちろん少ない観点からの示唆的な考察に過ぎず、とても満足できるものではない。今後、内容を深める必要がある。
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