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  • 角野栄子 「魔女の宅急便」シリーズ


    ジブリ映画で作品タイトルは有名ですが、その原作になったのが角野栄子『魔女の宅急便』です。
    このような場合しばしば、原作と派生作品との関係は問題になるところですが、このシリーズでいえば、原作と映画は別ものとして考えた方が良いと思います。
    両方共に独自の良さがある、それぞれの世界観があると思います。宮崎監督の原作独自解釈は周知のことですし、映画化した後に、原作の方はシリーズ化しているわけですからね。
    また「シリーズ」と書きましたが、シリーズは完結していません。現段階では、1-4巻が発刊されていて、5巻の原稿が出来上がり、6巻へと続くようです。
    レヴューも5巻発売まで待っても良かったのですが、なかなか出ないし、シリーズがそれで完結するのではないということなので、5巻が出る前に、1-4巻までに簡単に触れてみたいと思った次第です。


    1巻は、魔女の家に生まれたキキが、13歳の年に独り立ちし、行き着いたコリコの町で「宅急便」の仕事を始め、奮闘する一年を描いたものです。
    各章ごとにいろいろなものを届けるという、オムニバス形式に近い構成です。ジブリ映画はこれを、2時間におさまる、より流れを持たせた構成にしていて、ストーリーがそれに沿って取捨選択、追加されているわけです。
    ジブリ映画の方はやはり自分の中で大きな作品であり、原作を読むきっかけにもなっているので少し書いておきます。
    映画が原作と大きく異なるところは、ずばり「キキの魔法の低下と回復」に関わるところだと思います。
    ネタばれということも、もうないと思いますが、映画ではキキは魔法が低下し、ほうきで飛べなくなり、ジジとも会話できなくなります。トンボの危機に際して、キキは魔法を取り戻し、空を飛べるようになりますが、ジジとは会話できないままでした。僕は、ここにジブリ映画としてのメッセージがあると思っています。

    2巻は、その後のキキの活躍を描いたもの。
    当然ながら、1巻完結かシリーズ化するかの分岐点になるのが2巻の存在です。「魔女の宅急便」の場合、出版年のスパンからも顕著に分かります。
    物語は、コリコの町での二年目のキキの活躍で、構成も1巻を踏襲しています。宅急便屋として生活を立てることに自信を持てるようになったキキが、魔女としての心の問題にぶつかる、という展開です。

    3巻からは、各話独立的な形式から、一連の流れのある小説へと構成が変わります。キキの前に突如、もう一人の魔女(?)が登場する、という話です。16歳になったキキの問題も、嫉妬や疑い、またはアイデンティティ、恋愛といったものに関わってきて、「小学校中級以上」対象読みものの、「以上」の部分が多くなるように思います。
    ここでも、全てが完結部で、明らかに語られる、というような感じではないです。

    4巻は、作品タイトルずばり「キキの恋」。全体として、魔女という要素から離れた内容になっています。


    作品の主題となるものは、大まかな枠では、人間の独り立ち、成長に当てられていて、魔女といっても思春期の少女が普通に持つ問題が取り上げられますが、作者も述べているように、その下にあるものは、「見える世界」と「見えない世界」というテーマです。
    僕が解説するより、これは是非、作者の講演を参照してもらいたいです。僕としても、このことにはとても共感しますし、ジブリ作品にも多くリンクすることだと思います。
    科学で割り切れないような、感情の世界、不思議の世界、子供独自の世界など「見えない世界」は、意識して、それと向き合わないと感じられないし、何も与えてくれない。そしてそれを自分なりに形作ることが、成長につながっているというメッセージです。3巻以降は特に目立つように思います。

    「見えない世界」にスポットを当てる、というテーマが貫かれて、それが象徴的に扱われている部分が多いからこそ、内容全てが直ちに諒解できるものにはなっていません。
    「大人」である僕が読んでも、内容がすっと入ってこないところがあり、「子供専用」な読み物でない面があるのです。
    また、会話や歌にかかる文章は詩的なものが多く、ことばの面でもコミカルな独自の世界観をつくっています。


    最後に挿絵について。
    1巻・林明子、2巻・広野多珂子、3‐4巻・佐竹美保、というように、イラストレーターはシリーズで統一されていません。
    でも担当が変わっても、イメージが大きく逸脱するようなことはなく、それぞれの趣が感じられてそれはそれで良いと思います。

    林明子さんの絵は三者の中では、一番雰囲気がある絵。シリーズの世界観を作ったという意味で重要です。
    広野さんの絵はとても繊細な線で描かれています。人物も穏やかに表現されていて好感が持てます。その他の作品の絵を見てもほのぼのした温かみのある絵を描かれています。
    佐竹さんの絵は、多少1、2巻の趣から外れていて、ある種漫画的な要素がある印象です。でもこの人は、イラストレーターとしては一級の仕事をしていて、さまざまなイメージを使い分けられる人のようです。
    手がけている表紙絵、得にカラーのものは、特異な色彩感覚、構成感覚が見られて、感嘆です。スクラッチボードを利用しているかと思いますが、魔女に合った白と黒の世界を上手くつくっていますね。5巻でも楽しみにしたいところです。

    挿絵をどう捉えるかというのは、人ぞれぞれかと思いますが、物語(ここでは特にファンタジー)の場合、特に重要な要素だと思います。
    物語の世界観を共有できるのは、やはり人が描いた絵の世界観だと思うのです。その意味で、あまりファンタジー世界の「実写」(=作品の実写化や実写としてのSF)というのは好みではないです。
    例えば、『作品』は文章そのもの自体であって、挿絵は二次的なもの、という意見は成り立つとは思いますが、僕はそうは考えていません。文章と挿絵があって、このような本は『作品』であると思っています。もちろん、下手な挿絵で原文の価値が下がる、ということではなく、あくまでも、挿絵と文章が合えば、読まれるし、愛されるということです。


    子供向け、だけということはないと書きましたが、僕も実際、子供の頃から家に1巻は置いてあったものの、シリーズを通して読んでみたのは最近です。大学入ってから小説とは離れていたので、文学賞をとるような本よりもしっくり読めたかな。
    ちなみに、小中時は小中向けの本ではなく、まさに歴史小説を好んでいたので、その反動も効いているかもしれません。
    でも今、図書館に行って、横にいる背の低い少年が、童門冬二とか早乙女貢とか借りてたら「えっ?」って僕でも思いますね…。




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