芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    新印象派 光と色のドラマ 東京都美術館


    19世紀フランスでおこった新印象主義を紹介する企画展です。
    新印象主義というと点描、スーラ、シニャック程度の単語で止まってしまっていたり、好みが割と分かれたりと、踏みいって内実が知られていない面もあるかと感じます。
    新印象主義は印象派展やフランス絵画展でおまけ的に扱われることはままありますが、このようにそのものをテーマにするものはあまりなかったので、スーラ以降の広がりなど具体的に見ることのできる機会かと思います。

    新印象主義や19世紀イタリア等の点描技法において、個人的に関心のある切り口は、点描と写実/見たままの整合性です。
    新印象主義は技法の派生としては、印象主義と表現技法(タッチ)レヴェルでは親類関係にあると思いますが、表現のマインドとしては、趣きを異にしていると思います。つまり、印象主義は、実際に目の前の情景なり人物の印象を、色彩や筆触などの面で絵画的に捉えて、スケッチ的に生き生きと表現することに重きがありますが、新印象主義は科学的印象主義ともいわれるように、目の前の対象の印象をそのまま自由な色彩やタッチで表現することとは離れ、一つ一つの点描でもって形象や色調を緻密に組み立てていくことが要素になっています。対象が小さな均等なタッチでしかも補色同士を交えた色彩で表現されているというのは、目の前の対象から受ける印象とはだいぶ違うものです。たとえば、木々、雲、川の流れ、女性の髪、これらのものが大ぶりなタッチでヴィヴィッドな色彩でもってスケッチ的に描かれている場合は、画家の目の前の印象を提示しようとする意図はくみ取れるし、私たちもそのように描かれた対象を心の中で問題なく構成することができます。しかしながら、点描でこれらが描かれている場合、端的にいって、多くの人にはそのように対象を印象レヴェルで捉えることが困難な場合が多いのです。現実の木々の緑の中には、オレンジ色は見えてこないし、途切れ途切れの点でそれらが構成されていることもないからです。
    このように新印象主義技法では、印象主義とは比べ、見たままの印象を捉えるのには不向きな面があり、しかも、対象をある程度写実的に捉えるのも困難が伴います。点描の制約から、(形を線的に捉える事が難しいので)対象の写実性や存在感が割引かれる、対象の質感を表現するのが難しい、タッチの大きさがある程度均一なので遠近が表現しづらい、などどいった具合です。このような現実の対象を表現することに対するせめぎ合いや調整といったことからは、①新印象主義の徹底という方向と、②ある程度現実の印象との接近を試みる方向が見いだされます。①では、シニャック、エドモン・クロスといった画家の、物語の中の情景のような超現実的な世界を描いた絵画が見いだされ、技法もタイル的、タペスリー的な特徴的なタッチが見られます。②では、ピサロの印象主義寄りのいわば印象主義的に調整された絵画、そして、レイセルベルヘや(この展覧会で初めて知った)アシール・ロジェの写実性を保ちながら点描を活かすハイブリッド技法絵画が挙げられます。
    個人的には、②の写実主義的に調整された点描技法に興味があり、この展覧会でも複数作品の展示があったテオ・ファン・レイセルベルヘやセガンティーニ、イタリア分割主義の画家(モルベッリら)、モーリス・エリオなどの絵画には注目しているところです。
    レイセルベルヘでは、今展でも秀作ぞろいであり、そのクオリティの高さには脱帽ものですが、「マルト・ヴェルハーレンの肖像」は、表情は写実性を重んじたタッチで描き、背景等を装飾的に点描でもって仕上げており、まさにハイブリッド的に調整されている作品です。詳しくはないのですが、レイセルベルヘは後年は点描を放棄したということで、その過渡的な表現と見られるのかもしれません。
    ①の方向としては、示唆的にマティスの作品も最後に展示されていましたが、フォーヴなどより自由な内面的な絵画との親和性も感じられます。
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