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芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    『ジェイン・エア』
    シャーロット・ブロンテ
    河島弘美訳 2013年,岩波書店


    ブロンテ姉妹の長姉、シャーロット・ブロンテの長編小説です。
    ブロンテ姉妹というと、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』が有名ですが、このシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』も波乱の中を生き抜く女性像を描いた文学史上の傑作となっています。

    『ジェイン・エア』は同名の主人公が、子供から成人となった現在に至るまでを一人称でつづった自叙伝の形式をとっています。
    個人的な感想を手短にいうと、物語はジェインがフェアファックス家の家庭教師になる前後で大きな分かれがあると思いますが、その前段はとても楽しめました。孤独の身であるジェインが伯母の家に預けられ、寄宿学校に入り、そこで教師として自活していくまでのストーリーは、特有の強い意志によってジェインが周囲と格闘していく様を、回想ながら生き生きと描いています。これが、十代の子供の言動や考えなのかとうならされるほど、ジェインの意思と行動は混じりけや迷いがなく、一本気で易々と打ち負かされないのです。伯母の家や寄宿舎の世界でのジェインの視点や考えは(読者を含め)他を引きつけるものがあり、反発や対立も生みながらも、よき理解者も得て、ジェインは一人前の女性として育っていきます。
    続く、家庭教師編では、このような様相はガラリとかわり、家庭教師に入った家での、うら若き乙女のロマンス、という、ややありきたりで伝統的なストーリーテリングに収まっている印象です。ここから、紙面の大半をかけて壮大な愛の物語が紡がれていくわけですが、個人的には、寄宿学校時代のジェインの生き方や葛藤をもっと見たい気にもなりました。大団円に至る流れも、都合主義、神がかり的な要素を含んでおり、苦難続きで恵まれなかった少女時代とはやはり異なった様相です。
    このようにして物語の主軸は愛のロマンス方向へと切り替わりますが、ジェインが盲目的で依存的な生き方に転換するのではなく、(多少の揺れはあるものの)あくまでも10代前半の芯の強さを持って生活していく姿は変わらずに描かれています。このような場面は物語のスパイスとなっていて、単調なロマンスとは一線を画するところです。中流階級で、家庭教師という立場で、しかもか弱い女性であるにもかかわらず、状況や対面する相手の心理を鋭く把握する能力と、少女時分から変わらぬ固い意志と行動理念は、現代の視点で見てもインパクトがあり、自分で決断し、主体的に状況を切り開いていくことの正当性を強く訴えかけているようでもあります。
    最後に、このようなジェインの姿を描いた場面として、主人であるロチェスターから、道徳に多少そむく結果となっても、孤独の身であるジェインを気にするものなどいないのだから…、と迫られる場面を引用したいと思います。ロチェスターの激情的な説得に対しても、ジェインは流されることなく、自らの内の「道徳律」に従い、自らの進む道を貫きます。


    「このわたしが、自分のことを気にかけています。孤独であればあるほど、友人も支えも少なければ少ないほど、わたしは自分を大事にします。神さまが定め、人間が認めた法を守るつもりです。今と同じく自分が正気であったときに受け入れた道徳律を、これからも守ります。法も道徳も、誘惑がないときのためにあるのではなく、今のように肉体や魂が厳しさに対して反乱を起こすときのためにあるものです。それらは厳格で、神聖なものです。もし個々の都合で破っていいものなら、どこに価値があるのでしょうか? 価値はあるのだと、わたしはずっと信じてきました。もしそれを信じられないとしたら、それはわたしが正気でないからです。まったく正気でないから――血管が血を駆けめぐり、心臓が数えきれないほど速く、激しい鼓動を打っているからです。前から持っていた考え、以前からの決意が、今のわたしを支えるすべて――だから、そこにしっかり立つつもりです」

    現代であっても、空気を読む、顔色をうかがう、嫌われないように取り繕う、というようなことがまま求められる場面であって、ジェインのような立ち振る舞いをすることは困難でしょう。だからこそ、その好悪は別としても、彼女の芯の通った姿は、強く読者の日々の言動や価値判断に訴えるものがあると感じます。
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