芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • モーパッサン「女の一生」
    『女の一生』モーパッサン
    永田千奈訳、光文社

    邦訳は『女の一生』となっているが、原題は「UNE VIE」であり、巻末の作品解説でも指摘されている通り、タイトルには女とも主人公ジャンヌともうたわれていなく、「VIE(人生、生活、命)」は特定のものとは結び付けられていない。
    これは、客観的に、人間の社会にありうるひとつのVIEを描いている、ということだと思う。
    舞台は、田舎の貴族の家庭、地域社会ではあるが、ジャンヌの感情や、物語のなかで起こる事件は他の場所でも描かれてきたものだし、それは現代においも理解に困難はない。
    人生は楽しいことばかりではないが、悪いことばかりでもない、という常套句が作中、印象深くリフレインされるが、確かに悲劇的な事件がジャンヌの希望を繰り返し打ち砕いていくものの、その都度新たな期待や展望も彼女に開けている。
    この点は、前回とりあげたチェーホフの「ワーニャ伯父さん」に通ずるものが感じられる。
    悲劇によるVIEの終了、あるいは大団円を許さず、絶望的状況に落とされても、現実を一応のところ甘受しVIEを継続していく、またそうせざるを得ない――これはこれでリアリティを持ったVIEの在り方であり、「女(ジャンヌ)の一生」も結末が物語られることはなく続いていく。

    この物語は、道徳や社会科学的に見ても鋭く秀逸な描写・構成をしており、興味を引く。
    ジャンヌは父親の意向で、12歳から17歳まで修道院に預けられる。このようにして育ったジャンヌは、教会の道徳を内面化しており、外界の生生しい問題とは切り離されている。
    ジャンヌは修道院生活を終え、幸せな結婚や人生に夢を膨らませ、子爵のジュリアンと結ばれ自分の人生をスタートさせるわけだが、夫ジュリアンの態度や考え方になじめず、あげくのはては女中との姦通という形で裏切られてしまう。子供ころから夢見てきた生活は破たんし、積み重ねてきた期待や希望は残酷にも崩れ去ってしまう。
    夫の裏切りだけでは終わらず、尊敬をしていた伯爵夫人の裏切り(夫との浮気)にもあい、ジャンヌは以下のような感情を抱く。

    女友だちとして信頼していた伯爵夫人の二重の裏切りが許せなかった。彼女さえこうなのだから、この世のなか、誰かもが不実で、嘘つきで、信用できない存在なのだ。そう思うと涙がこぼれてきた。

    ここでジャンヌが「許せない」のは、単に夫を奪われたからではない。

    ジャンヌがジルベルト伯爵夫人を許せないのは、自分の夫を奪ったからではない。友と信じた彼女が、そうした汚い世界に身を窶したのが許せないのだ。動物的な本能に支配されている野卑な人間がいる。だが伯爵夫人は、こうした人たちとは生まれながらにして違っていたはずだ。それなのに、彼女はどうして粗野な者たちと同じような世界に身を落としてしまったのか。

    自分の価値観のある世界の人間であると思っていた人間が実は「汚い世界」の人間であると知る。そして、それまでの期待、信頼、敬意、共感が誤ったものであると突きつけられる。こうして、周囲との断絶を味わい、孤立を感じる。このような体験と心理がまざまざと描写され、ジャンヌの心に刻まれる傷と諦観は読者の追体験を促すかのようにリアリティを持っている。

    夫や友人の裏切りを乗り越え、ジャンヌは息子と両親だけを愛して生きていこうと決心する。しかしながら、心通う母親でさえも、夫や伯爵夫人の側の人間であったと知り、愛をそそぎこんで育てた息子も「不実で、嘘つきで、信用できない存在」に育ち彼女のもとを離れて行ってしまう。
    物語の後半は唯一の人生の拠り所となった息子を愛し、また取り戻すジャンヌの懸命な姿が描かれるが、ここでもそれらが不首尾に終わり、ジャンヌは生気を失ったかのようにもぬけの殻となりふさぎこんでいく。

    ジャンヌの心情の吐露は、現代社会にも通ずる、コミュニケーション成立可能性、役割期待の付与、他者認識/肯定のもろさなどを突いている。
    教育程度が発達し、都市型文化によって均質化が進んだ現代でも、自己の価値観に沿った役割期待を他者が応えてくれることはまれであり、満足にコミュニケーションすることは意外に難しい、さらに、ある集団や共同体のなかでの自己の価値観の孤立を味あわされるということは程度の差はあれ、多くのものが体験していることかもしれない。そのときに、折り合い、諦め、調停、逃避、説得などの手段がとられていくのであり、ジャンヌの姿はいささか悲劇的、皮肉的ではあるがひとつの型の適応過程として見える。
    ジャンヌは、ある極端な場面での悲劇のヒロインでも、安全な立場から嘲笑できる哀れな未亡人でもないのである。挫折や諦めを経験しながらも、それでも自己の価値観やアイデンティティを保ち、生き抜いていくジャンヌの姿がとても印象に残る。

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