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  • るろうに剣心『追憶編』『星霜編』について


    テレビアニメ放映終了後に、OVAとして製作された、るろうに剣心『追憶編』と『星霜編』を何だかんだで最近見ました。制作が1999~2002年とのことなので、存在は知りながら随分と放置していたことになります。
    この理由はというと、OVAという形式で、テレビアニメや原作とは趣が異なった作品になっているということが一番にあったわけですが、今回実際に見て考え通りということを認識しました。特に『追憶編』の方はかなり評価の高い作品ということですが、筆者の立場が福音派?であることと、前に示した通り制作から年月が経っていることもあるので、オブラートなものいいに終始するのは避け、ネタばれを気にせずに書こうと思います。ただし、裏事情や裏設定のようなことに詳しくないのでそこはご了承いただきたいと思います。

    □『追憶編』
    原作では、人誅編のいきさつを明らかにするために剣心が幕末の過去を語るのですが、その幕末の京都での物語を抜粋してアニメにしたのが『追憶編』です。
    まず、内容に入る前に、キャラ絵がまったく原作を再現する気がないことに注目されます。顔・表情の描き方が特徴的で、特に目ですが、離れ目で死んでいるような感じさえ受ける個所もありました。これは、監督が独自に作品を解釈しなおしてよりシリアスに物語を構成しようとする一環と感じたのですが、受け付けにくいのが本音です。まあ、下手絵とはいえず、一定のクオリティで描いているのでそこまでは非難しにくいですが…。
    ストーリー・内容は、原作をなぞっていた進行となっていますが、随所にオリジナルな要素が入ってきます。まず意図的にやっているのが、剣技を再現していないということです。ウィキペディアを見ると、「主人公が技名を叫ぶ等の漫画的な演出は排除され、徹底した脱少年漫画演出が施されている」とありますが、るろ剣ってこういう漫画だったのに、というのが黒歴史視されているような扱いを受けています。それと呼応するかのように目の前に広がってくるのが、登場人物がメッタ斬りされていく映像です。とにかく少年誌漫画原作には猟奇的ともいえるほどの過度な残虐映像となっており、ここまでくると、るろ剣ってこういう漫画じゃなかったのに、と思わされるわけです。これも「脱少年漫画的な演出」というものなんでしょうが、抜刀斎が原作よろしく飛び回り、大勢を一瞬で斬り伏せ、人からは噴水のような血しぶきがあがる、というOVA演出も十分「少年漫画的な演出」なはずです。原作者の信条・意図・世界観から外れるのが一概にダメとはいえませんが、とりわけこの残虐映像は、他個所の改変にも増して悪い方向へ脱原作的になっているのではと思いました。
    また、OVAでよりシンボリックに扱われているのが抜刀斎の十字傷です。強い念が込められた傷であり、主人公の生き方を決定付けるものとなっていくという演出は物語として上手くまとめたんじゃないかと思います。ただ、傷が治らず、事あるごとに血がポタポタするのは、心理描写に資するとはいっても、頻繁に目にすると不快かなと。
    演出・映像は多くの称賛にあるように概して質の高いものとなっていて、大人なアニメの雰囲気を存分に醸し出しています。キャラより背景とかの方が見ごたえあります。気になったのが、実写をアニメにはめ込んでいるところがあって、やはり違和感がありました。
    他にコメントを付けたいところを以下に挙げます。
    ・物語の前半の時系列を無視したエピソードの切り貼りは、原作読み込みありきで個人的に受け付けなかった。
    ・比古師匠が「大量殺人者」になると見切っているのにもかかわらず簡単に剣心を手放しすぎ。原作のケンカ別れはどうしたのか?
    ・闇乃武の辰巳が原作より若く、しかも人生を悟っている。人の道を達観しており、諦念を持ったしゃべり口には圧倒される。

    『追憶編』は、原作の大枠は守っている、映像・音楽の質が良い、挑戦的・革新的である、などの点で、自分のような原理主義者の悲観的意見を抑えて評価されているんだなと思いました。原作の影響力が薄まった今になって、昔馴染があった漫画のアニメを見てみる、というような感じで楽しむにはいいのかなと思います。

    □『星霜編』
    『星霜編』は原作者によるシナリオがない、制作者側のオリジナルな続編アニメになります。漫画終了後に一部で高まった続編を!という思いに追憶編の成功裡に乗じて応じたのか、阿ったのかは不明ですが、物語の時代をなんと「明治26年」にして、薫視点で、剣心のその後の人生を見せています。
    絵は、追憶編よりも綺麗目なものになりましたが、また目鼻の描き方を筆頭にして違和感があります。
    この物語の明治26年では、剣心は結婚して生活を落ち着けるどころか、よりアクティヴに放浪するようになっており、薫はいつも剣心を待ちながら過ごすという日々を送っているようです。物語の前半は、病床に伏せる薫が、剣心と出会い、ともにくぐり抜けてきた闘いの数々を回想する、というものに充てられており、『星霜編』のタイトルにふさわしい内容にて構成されます。この回想の中の左之と刃衛はひどいなという感想はさておき、京都へ旅立つ剣心が薫に別れを告げるシーンは、スタジオぎゃろっぷ制作のテレビアニメ版は超えられないな、と改めて当時の神映像化を確認しました。ともかく、本編の薫回想での売りは、未だアニメ映像化されることがなかった対縁戦です。闘いではなく、ここでの薫の心情に『追憶編』の負の残滓があり、それがこの『星霜編』の全体を彩る絶望の影を形成していきます。
    さて物語の後半に移りますが、「明治26年」の登場人物が立脚する世界に戻って、ここでもやはり薫視点で、大陸へ旅立った剣心を迎えるまでが描かれます。ここからがトンデモの次元に入っていくのですが、剣心は不治の病をおっており、離れていても同じ苦しみを背負い絆とするために薫が剣心に病をうつしてもらうという経緯が提示されます。後半全般は、剣心、薫ともに病気に苦しみもだえ、人格が定まらないままの姿で描かれていきます。こんな夫婦では、息子も家出して当然だし、健全だなと思う以上に、原作を蹂躙した内容に何とも言えない心地になります。逐一、ここがおかしい、というような解説は省きますが、原作の漫画と特に「るろ剣その後」を知る手掛かりとなる「原作最終幕」、「読み切り・弥彦の逆刃刀」、「春に桜」を読んで、この物語を生む解釈が生じる余地がどこにあるのかと。剣心は逆刃刀を手放した後も闘いの人生は完遂していないし、読み切り2編でも木刀か何かしらの刀は持っているのを見過ごすべきではないでしょう。『星霜編』の剣心は、原作のポリシーを投げ捨てて、闘わず、家族を顧みず放浪している中年としか思えない。独りよがりな薫は目のあてどころすら見出せない…。
    『星霜編』は、あくまで個人的にですが、アナザーストーリー中のアナザーストーリー、パーフェクトなパラレルワールドであり、生気のない、死臭がただようかのような希望のないアニメとなっていました。あえて見どころを挙げれば、「剣路対弥彦」と「来迎寺千鶴のオマージュ」くらいかと。贖罪にテーマが絞られているのですが、こういう形で物語を作りたかったのなら、「るろうに剣心」を土台にすべきではなく、監督なり制作者サイドで関わりなくやってほしかった、と強く思わされました。結末も、結局は抜刀斎・剣心の在り方を脱した「心太」へと剣心が胎内回帰し、十字傷も無くなっていた!、という事なかれな贖罪完遂となっていました。


    このように、否定的なレビューとなってしまいました。見なかったことにして記事も書かない、とも考えましたが、これらの作品が「るろうに剣心」の同人作品ではなく、オフィシャルな作品としてあり、作品の世界・見方の一部を構成しうることもあり、今回一ファンとしてアップさせていただきました。
    話は変わりますが、るろうに剣心後の、アニメや漫画を見て、その影響力は強いなあ、と実感してます。るろ剣自体が、他作品の影響を受けているわけですが、一つの作品として揺らがない位置にあるなと思いました。

    5年も前になりますが、筆者による原作のレビューです。
    『るろうに剣心』再考

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    カラヴァッジョ映画


    カラヴァッジョの没後400年という節目の年に日本で公開されている「カラヴァッジョ/天才画家の光と影」を観てきました。映画自体の製作は2007年となっていますので、日本での劇場公開はファンにとっては待望、ということだったのでしょうか。
    本国イタリアでは、この節目の年に開催されているカラヴァッジョの回顧展が大盛況とのことです。日本では、ボルゲーゼ展の作品を鑑賞するにとどまりますが、この映画も含めて彼の画業を再確認する良い機会となっていると思います。
    もう結構前になりますが、庭園美術館でみたカラヴァッジョ展の印象が強く残っていて、子供ながら連れて行ってもらって良かったなと当時を振り返ります。

    さて映画ですが、まだ公開中で、これから封切られる映画館も少なくないので、ネタばれな内容は避けて、影響力はないにしろ、少なくとも観に行こうと考えている方を支援する記事にしたいと思います。

    まずストーリーですが、画家が出身のカラヴァッジョ村から意気揚々ローマに立ち、成功と挫折を繰り返し、トスカーナ地方の港で最期をむかえるまでが丁寧に描かれています。
    カラヴァッジョというとその破天荒ぶりが知られるところですが、あまり史実を美化することなく、画家の「光と影」を人間味あふれる形でスクリーンに提示していると思います。
    それなので、映画批評などにさらしてしまうと、ただの男のエゴを2時間も見せて、、というふうにもとられそうです。ただし、カラヴァッジョを物語を通してより身近に理解する、という観点では、愛や正義という語のみで聖人化せず、ある画家の生きざまを率直に見せた方が良いと思いますし、映画はバランスをとってそれに成功していると思いました。カラヴァッジョが同性愛と疑われた側面や娼婦に夢中になっていた側面も、ローマという街を上手く見せながら、劇中に織り込んでいました。
    ストーリーであえて難点を挙げるとしたら、観る側の教養ということになりそうです。歴史の史実や時代背景などが描写されていくのですが、知らないと映画に置き去りにされてしまいます。自分は本当に世界史がお粗末なので、当時のローマの時代背景を良く知らず深く咀嚼ができませんでした! 
    ローマカトリック、その中のスペイン・フランスの勢力争い、パトロンのデル・モンテ枢機卿(親フランス派)、修道士ジョルダーノ・ブルーノの殉教、異端審問(地動説-異端)、ベアトリーチェ・チェンチ事件、マルタ騎士団、とこのくらいのワードは頭に入れてから観ると映画館でキョロキョロしなくて済むと思います。オフィシャルのストーリー紹介は、そのまんま物語進行をなぞっているので見てしまうと面白くないかなと思います。

    また、テーマとなる「光と影」は映像の中にも表現されていて、街並みやアトリエの中で可視的にあらわされている面はもちろん、たとえば夜の街や監獄を闇の部分として見せることなど、シンボリックにも提示されていたと思います。総じて見ると、ハリウッド映画のように、というのではなく、もっとナチュラルに17世紀のイタリアを見せてくれている気がしました。
    さらに、カラヴァッジョの画家である面も忘れずに描いており、モデルを並べて描く、対象をじっくり観察する、光源に神経を使う描写などなど、画家のリアリスムを追求する姿を細やかに見せています。

    伝記をおこしたようなのっぺりした映画ではなく、躍動感のある映画だと思います。それはカラヴァッジョの密度の高い人生に帰する部分も大きいですが、映画として上手く立ち回っている部分もそれなりにあると思わせます。
    もう一度見返したいと思いましたので、おすすめします。
    ボルゲーゼ美術館展 東京都美術館


    ローマの名門貴族、ボルゲーゼ家のコレクションを収蔵するボルゲーゼ美術館の作品を展示する企画展です。
    今展は、東京都美術館が改修に入る最後の企画展でもあり、すでに展覧会が終了した現在は約2年間の休館期間に入っています。何かさびしいですね。

    あまりこれといった感想もないので簡単に。
    ルネサンス絵画は神話主題がメインなので、ギリシア神話を振り返っておくと理解が良いと再確認しました。自分は、入門向けの「すぐわかるシリーズ」をちょっと前に読んでいたのもありましたが、やはり神話内容やアトリビュートとかは深く絵画を見るうえでは避けて通れないと思います。夥しい神々のそれぞれの関係や物語を細部まで記憶したりというのは煩わしいのですが、たとえば「レダ」とか「アンドロメダ」とかが、どのようなヴァリエーションで描かれているかというのを知って作品を見るということは、絵画様式や個々の画家の趣向を見る際に比較材料となります。
    また、これは前々から感じていたのですが、一口にルネサンスといっても、画家の力量の差は歴然と表れているなと思います。ラファエロやティツィアーノが突出していて他の同時代人の追従を許していないと思わされます。今展にしても、デッサンにしても色遣いにしてもあまい作品がいくつもあったように思います。

    内容では、支倉常長の慶長遣欧使節の展示は面白かったです。日本史で習ったころを思い出す…。
    あんなに立派な肖像があるとは驚きました。
    あと2年もしたら、また都美術館の企画展のレビューを書けるんですかね。