芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    会社生活における内面的意味
     貨幣がもたらす自由は、ただ潜在的で形式的で消極的であるにすぎないから、積極的な生内容と 貨幣の交換は――空虚となった場所に他の内容が他の方向からただちに押し移ってこないときには――人格価値の売却を意味する。
     G・ジンメル


    学校を去り、会社に入り仕事を始めること、このことは、資本主義社会にあってほとんどの人間が経験することであるが、それまでの生活から労働の生活への移行はどのように内面的になされているのか。ある日を境に、一日の大半を労働に費やすこと、しかも、それを何十年も続けていくことは、どのように自己諒解さなれているのか。
    現代日本では、多くの若者が大学までいくようになり、猶予期間は延び、選択肢は多様に確保されている。21、22歳までの、ある程度自由のきいた生活が、朝から晩まで仕事に縛られる生活になる。ここには、中学から高校、高校から大学といった環境の移行よりも、大きな変化があることは間違いない。労働は国民の義務であるから仕事をする、あるいは経済的合理性に基づいて仕事をするという人も中にはいるだろうが、ほとんどは別の自己諒解や意識的な動機づけが働いているように思う。
    働かない若者が増えている、新卒の転職・離職率が上がっている、仕事場でうつ病などの拒否反応を示す人が増えている、あるいは株や犯罪など長時間労働をしなくても金銭が得られる可能性のある行為に流れる、このような事例は複合的な要因があるにせよ、一面的には一般的な労働への非適合反応として、理解し易いものである。ここでの論点においては、社会学的にとらえられるべき重大な要素はあまりない。
    それよりも重要なのは、非適合者が相当数いる(あるいは増えている)一方で、大多数は学生生活から会社生活へと問題なく移行し、日々労働に励んでいるという事実である。彼らの精神における「調停」にこそ、社会学的な問題がある。それは、働かなければ食っていかれないという言説よりも深層に位置している。

    もちろん、仕事自体が目的になったり、そこでの生活を人間的に楽しんだりする、あるいは手段として見合った行為として即物的に受け入れるという場合もある。
    しかし、外部的な指標を用いて見れば、見切りをつけて去っていく人のいる中、決して見合った条件や環境でないところでの労働を選択し続ける人もいることは確かである。ゲームとしては、札を交換すべきターンでそれをせずに、「これしかない」という、何の合理性のない信念でゲームを続けていく、というようなシーンである。もちろん、ゲームを投げることはできない、という前提は忘れられるべきではないが。

    支配が、下位者が上位者へ服従を見出すチャンス(可能性)から成り立っているという視点と比較して考えれば、労働も、労働者が権力関係において経営者なり使役者側に抑圧(管理)されながら続けられていくというよりも、彼らが会社組織へ身体を組み入れて、労働を受け入れるということによって維持されていると考える方が妥当であるように思う(いささか経済学的視点を無視しすぎかもしれないが)。会社生活における制度や秩序を、アイデンティティの獲得・提供のシステムとしてこのような観点で捉えていくと、それらを機能論的に理解することもできる。
    そして個人における、(社会)心理学的な動機付けの構造が、組織のエートスと相互作用を起こしながら、このシステムの核、焦点となっていることは間違いないだろう。ただ、各人はそれをほとんど表面には出さないし、意識すらせずに身体を労働へと向かわせることもしているようである。
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