芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    『社会学入門』 見田宗介
    岩波新書,2006

    見田宗介の『現代社会の理論』を読み、社会学に興味を深めていったのは高校生の時だが、それ以降は、見田の著作には何故か触れないできていた。『現代社会の理論』と同じく岩波新書である本書は、大学を卒業した最近、ふと見つけ手に取った次第だが、あれから随分と時がたったのだと思った。この本を読んで、見田社会学の「圧力」というものを再び実感することができた。

    さて、本書は、入門書をうたっており、大学での社会学の概論や入門に当たる講義をもとにしてまとめられているのだが、これにはいい意味で裏切られた。大抵の入門書は、社会とは何か、社会学の成り立ち、現代社会における問題、を順序良く丁寧に説明してくれるものだが、この『社会学入門』はそれを踏襲しない。社会というものの見方、切り口は提示するのだが、そこから過去の社会学者の理論の洪水には至らない。見田自身の経験から比較的に社会を見たり、色彩や詩といったものから社会を見たりと、リアリティを持って「社会学すること」を講義している。適当な評論家やマスコミの仕方などとは違った切り取り方で、現代社会の問題が、深層部分から浮き彫りにされていく。入門書という位置づけで軽んじることはできない言葉が本書には並べられている。その根底は『現代社会の理論』ともちろんつながっている。

      社会の「近代化」ということの中で、人間は、実に多くのものを獲得し、実に多くのものを失いました。獲得したものは、計算できるもの、目に見えるもの、言葉によって明確に表現できるものが多い。しかし喪失したものは、計算できないもの、目に見えないもの、言葉によって表現することのできないものが多い(pp.38-39)。

    このことは、自分が大学時代、デュルケムを通じて問題化していたものとまさにつながっていることであったが、それには当然のことながら、『現代社会の理論』が大本にあったからである。脱リアリティが進行した「虚構の時代」における問題。客観的な社会的関係や感情が、下位の要素を捨象して、双方(社会集団など)の関係を絶対的に規定するという「関係の絶対性」が引き起こす問題(9.11テロに代表される)。これらが浸透する時代にあって、その向こうに「自由な社会」、「交響するコミューンの自由な連合(Liberal Association of Symphonic Communes」を模索することは可能なのか、という問いが本書を貫いている。
    見田は、社会学では古典化された定式の「ゲマインシャフト(からゲゼルシャフト」という布置を見直す(用語についての詳しい説明は他サイトに譲る)。彼によれば、「近代社会がゲゼルシャフトであるということはフィクションであって、近代の市民社会は、「核家族」を基本形とする他のさまざまの、微分化されたゲマインシャフトの、相互の関係としてのゲゼルシャフトであった」。つまり、ゲゼルシャフトとは、われわれが所属する集団そのものを指すものでなく、集団間の関係を規定するものでしかない。近現代を「ゲマインシャフトからゲゼルシャフト」という移行過程で捉えたままでは、今の社会の向こう側には、「ゲゼルシャフト化の徹底(「近代化論」等)」あるいは、「ゲマインシャフトの回復(「共同体論」等)」しかないのである。見田は、どちらかの方向へ偏る道ではなく、「ゲマインシャフト・間・ゲゼルシャフト」の位相において「自由な社会」を目指していこうとする道を示している。それが、「交響するコミューンの自由な連合」であるところの「交響体・の・連合体」である。

    このような場所では、「虚構の時代」、「自由な社会」、「交響体」とは何かについては説明しきれないし、それは本書を矮小化することになるだろうから、具体的な理論構成については実際に読んでみてほしい。この本は、社会学をさらっと知って終わりにしてしまうような「入門者」ではなく、これからも考えようとする人に向けられて書かれていることは断言できる。社会学であり、社会哲学的でもある本書は、深く、また広く社会を見ることの手がかりになる本だと感じる。
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    今、蘇るローマ開催・日本美術展 日本橋三越本店ギャラリー


    1930年にイタリアで行われた、日本美術展覧会に出展された作品を集め、同展覧会を振り返る企画です。大倉財閥のバックボーンがあったということで、多くの作品が、大倉集古館に所蔵されています。
    当時の日本美術を代表する画家の作品を集めただけあって、内容はかなり豪華であり、期最終日に行くことができてよかったです。日本画は、これまでメインでは見てこなかったので、興味が増してきた中、このような機会は個人的に貴重です。ということで終わってしまった展覧会ですが、多少感想を述べておきます。

    まず、下村観山に注目しました。「不動尊」、「維摩黙然」、「時雨」の三作品がありましたが、ざっと見て、色々な趣向で絵が描ける画家であると思いました。
    「不動尊」は大胆に力強く仕上げられた作品ですが、背景の炎の表現は、不動明王と違ってかなり繊細に塗られています。「維摩」は、写実性を増して描かれており、全体的に、繊細な色遣いが見て取れます。二つの作品は、相当異なった印象を持つ絵ですが、絵の随所に細かな作業が共通して見られます。「時雨」は、またこの二つとは趣をことにする作品で、別の画家が描いたようにも見えるくらいです。木の幹はある程度写実的に表現していますが、葉は、文様を重ねたようなモザイク調の表現で、木全体としては、アンバランスなつくりをしています。

    敬愛する竹内栖鳳ですが、二羽の鶏が競り合っている「蹴合」(下図)という作品がありました。鶏の羽毛の表現、色の出し方には、感服しました。もちろん、頭や足にも相当気が配られています。絵としてのまとまりというよりも、表現、技量を見せつける絵であると感じました。(同じ日に、山種美術館で栖鳳の代表作、「班猫」を見ることができました。ディテイユは「蹴合」の方がいいと思いましたが、「班猫」は、表現の素晴らしさに、さらに緊張感が加わった絵だと思いました。)

    そして、荒木十畝。この画家は、山種で見たときから、忘れられないですね。今回出品されていた「晩秋」も、完成度の高い、良く練られた作品だと思います。画面の綺麗さが群を抜いているのが分かります。緑と朱との対比でもって、全体を淡い色調でまとめており、松の葉を、雲のように画面に大胆に配した構成に目がいきます。

    鏑木清方「七夕(左隻)」(上図)。背景を占める調度品は、並列的な構成であり、また、それぞれがとても細やかに描かれており、屏風全体としては、落ち着きはらった印象を感じさせます。後ろ向きでさらっと立つ女性もそれを助長させています。また、多色が配されていますが、ソフトなトーンであり、うるささを感じさせず、さわやかさを引き立てています。右隻を見れなかったのは残念ですが、この左隻だけでも、見ごたえがあります。

    その他、普段眼にしたら、何気なく見過ごしそうな植物を、精密に、気品高く描いた、山口蓬春の木瓜、息を飲むような仕上がりで、迫力も備えた、伊東深水の小雨なんかが気に入りました。


    芸術都市パリの100年展 東京都美術館


    1830年から1930年の100年間のパリに焦点をあて、パリ市内にある主要な美術館の作品でもって、その時代を振り返る展覧会です。今年は日仏修好通商条約締結から150年というメモリアルな年のようで、このような企画が実現しています。
    このブログの、「パリのミュゼ」のカテゴリにある美術館がメインであって、パリの美術館を一通りまわった人は見慣れた作品が多いのかというと、そうでもなかったです。個人的には、見ていない作品(または、おそらく見たのだろうけれど忘れている作品)が半分以上であって、新鮮な気持ちで見られる展覧会だと思いました。さらに彫刻も程よく展示されていて、ロダン、マイヨール、ブルーデルといった代表的な彫刻家の作品が見られます。他にも、版画、写真も多くあり、いろいろな角度でパリの芸術を見られます。

    まずは、ルノワール。「ニニ・ロペスの肖像(1876)」(下図)と「ボニエール夫人の肖像(1889)」の二点があります。前者の方は、色彩や塗りでの主張を抑えた、淡く儚げな雰囲気を保った作品で、吸い込まれます。未完で終えられたのかと思いましたが、背景の描写が曖昧なタッチで済まされていたり、椅子にかけた肘が塗りこまれていなかったりと、渾然とした不思議な画面になっています。前期の作品といえますが、あまりルノワールでこのような作風は見てこなかったので、今回注目した作品です。
    対して、「ボニエール夫人」の方は、きちんと塗りこまれており、とても明るく、大胆な色調対比がなされた作品です。この色と明るさは、1890年あたりでは特にそうですが、今でもすごいなと思わせます。絢爛さと一種のアンニュイを感じさせる絵だと思いました。

    モローは、モロー美術館から数点来ていましたが、中でも気になったのが、「妖精とグリフォン」です。モロー美術館では見た記憶がないのですが、単に忘れただけなのか、常設展示していない作品だったのか…。さておき、同美術館に完成作で、この作品と構成は似ているものの、別のヴァージョンのものがありますが、今回の作品は、全体にわたって塗りこまれていない未完成作品です。しかし、グリフォンの動きや描写に力が入っており、構図に広がりがあるので、興味深く見ることができる作品です。また未完成であるがゆえに、モローが作品を描く工程が見られるのも良いところです。

    今回注目した画家が、テオ・ヴァン・リッセルベルグ(1861-1926、テオ・レイセルベルヘ)です。ベルギー生まれの画家で、レ・ヴァンにも参加していました。スーラに影響を受け、新印象主義に傾倒したということで、「アリス・セットの肖像」(上図)は、見事な点描技法で描かれています。点描をこれだけ上手く使っている作品もあまり見ないので、とても驚き、じっくりと見させてもらいました。この大作を、相当リアルに、しかも統一感を持たせて仕上げるのに、どれだけかかるんだろう、と思います。図版ではなく、直接見て楽しむべき絵画です。ドレスも単に青を点描しているだけではないのが分かります。見事な点描ということで、松岡美術館で見たアンリ・マルタンの風景画を思い出しました。
    この作品のほか、オーギュスト・ペレとその夫人の肖像画がありましたが、こちらは点描ではなく、生き生きとしたタッチで描かれています。いろいろ描くことができる画家なのだと思います。これからも彼の作品に出会えたら良いですね。

    その他、気になった作品を挙げてみます。
    ファンタン・ラトゥール「サテュロス(ユゴー『諸世紀の伝説』より)」。ファンタン・ラトゥールは、神話主題での作品も結構残していますが、その特徴となるふわふわした描写で今作も描かれています。人物の配し方や、細やかな絵肌が良いなと思いました。
    リュック=オリヴィエ・メルソン「一滴の水のための一滴の涙(ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』より)」。躍動感溢れ、粗野で汚い群衆と、静謐で、明るく、綺麗に描かれたエスメラルダのコントラスト!。魅せてくれる絵であり、飽きさせない絵です。人物に、輪郭線を描いたり、肌などに、パステルでいうフェザリングのような細かい線描を入れていたりと、画面からは、独特な表現が見えてきます。
    その他にも、アモリ・デュヴァルやシャセリオーの作品など、見事に仕上げられた良い作品が来ています。ドーミエの版画もとてもコミカルです。
    これから、広島、京都と巡回するようです。東京展は始まったばかりですが、あまり混んでいなく、見る側としては落ち着いて見ることができるのかと思います。



    ギュスターヴ・モロー「夢を集める人」自作を語る画文集


    藤田尊湖訳編 2007,八坂書店

    本書は、1986年に刊行された、モロー自身による自作の注釈・解説を集めた「夢を集める人(L’Assembleur de reves)」をもとに、2002年刊行のモローの文書資料集である「芸術について(Ecrits sur l’art)」を比較参照して、訳出、編集されたもの。各作品の作者自身による解説と、訳者がその理解にため補足した、モローの文章が並べられています。図版は、モノクロもありますが、カラーを多く使っていているのが良いです。
    本国フランスにおいて、モローの残した文章が死後86年も経過してまとめられたというのは、少し意外でした。日本では、モローについて知ることのできる文献は数少ないので、モロー自身の言葉に触れることのできる本書は、とても貴重だと思います。

    個人的には、本書は、特に、モロー美術館に行ったことがある人(あるいは行く予定のある人)には、じっくりと味わえるものだと思います。解説されているものの多くが、モロー美術館にある絵画であり、同美術館の雰囲気を味わった後で、本書を読むと彼の思想や信仰といったものがより深く感じられるような気がします。もちろん、モロー美術館展など、展覧会で作品を見たことのある人も、楽しめると思います。やはり、作品を前にして、彼の表現や思想を読み取ることが大切であると思います。

    解説自体は、かなり客観的に、そして淡々と、自作をディスクリプションしているのですが、時折、作品にこめた思いや、表現の背景を語っています。例えば、「ヤコブと天使」では、同主題で描かれたドラクロワの壁画(サンシュルピス教会)を批判し、ヤコブと天使の一晩にわたる格闘が、物理的な戦いであると同時に、精神的な戦いであったことを指摘し、自身の作品ではこれが描き出されている、としていることは良く知られています。また、「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」では、ヒュドラの中心の首に、コブラを選んだことで、「私は不動の姿勢のままじっと不安そうにしている怪物の様子を描くことができた」と述べています。このように、情景描写に徹している中で、控え気味ですが、自身の絵にこめる思いや着想が語られるのは、本書の興味深いところです。

    さらに、作品解説とともに並べられている、モローの文章は、彼の思想、哲学をうかがい知ることができて、モローという芸術家にアプローチする上でとても重要なキーを提供していると思います。「芸術について」に、このような文章がまだ集められているようなら、ぜひもっと読みたいです。個人的に気になったのは、孤独について述べた次の文章です。

      
     孤独はあらゆる思考が住まう自然の館だ。詩人に霊感を与え、芸術家を創り出し、そのあらゆる形式と名において才能を刺激するもの、それは孤独だ。(中略)孤独には、それが神によって与えられた孤独ならば、切り離すことのできない道連れがいる。それは貧しさだ。孤独で貧しくあること、それこそが精神世界の英雄の秘密なのだ。少ない持ち物とともに、少ない相手と共に生きること限られた物質的な欲求と魂の限りない満足満足によって、良心を無傷のままに保つこと。あらゆる雄々しい美徳はこうして成され、異教の古代に、稀な、例外的な精神の高貴さであったものが、キリストの掟のもと多くの人々に共有される実例になったのである。


    自らのアトリエにこもり、母や恋人など近しい人間と交際し、一時はサロンの出展も控えていたモローの姿を見ると、この文章は彼の生き方を直に表明したものとして読めると思います。モロー美術館にある彼の幻想と古典の世界に触れられる思想が本書には溢れています。
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