芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    Flipper’s Guitar  ON PLEASURE BENT フリッパーズ・ギター 「オン・プレジャー・ベント」


    フリッパーズ・ギターの唯一のライヴ音源による貴重なアルバム。
    フリッパーズ・ギターは、つい最近、1st、2ndアルバムがリマスター音源で再発売されたこともあり、気に入った人であれば、このアルバムも是非おすすめしたいという一枚。

    まず良い点は、ライヴということもあってか、各アルバムのベスト・ナンバーが集められていること。「恋とマシンガン」「バスルームで髪を切る100の方法」「やがて鐘が鳴る」「ラヴ・トレイン」など、全てが独自の魅力を振りまく作品。また、Haircut100の「好き好きシャーツ」もカヴァーされてたりします。
    また、当然のことながらライヴ独特の躍動感も魅力。とかくヴォーカルや演奏のクオリティという面がつっこまれるようですが、そのような一般的尺度でのクオリティの高さはやはりフリッパーズ・ギターの音楽ましてライヴに求めるというのもズレているので、逆にこのアルバムの躍動感、疾走感は気持ちいい。特に、「スライド」や「やがて鐘が鳴る」の二人のかけ合い・コーラスがポイントになっている曲はもちろん、「ボーイズ,トリコに火を放つ」他、ヴォーカル(コーラス)のヴァリエーションも楽しめます。

    冒頭の「ウィニー・ザ・プー・マグカップ・コレクション」から、ノイジー加減とちょっと外した脱力加減が強調されていて、独自の基調をつくってます。また、ファーストに多い、ハイテンポではじけた作品は、まさにライヴで輝くものであるので、盛り上がりには事欠かない、熱っぽいアルバムに仕上がっています。

    Merci a TB-lin
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    ルース・レンデル、ノン・シリーズ!


    ルース・レンデルは、P.D.ジェイムズと並び評される推理小説の女王で、まさに現代ミステリの巨頭。
    世界各国で翻訳が出ていて、揺らがぬ地位を持っているイギリスの女流作家です。

    レンデルのミステリは、本格推理系のウェクスフォード警部シリーズとサスペンス系のノン・シリーズに明確に分けられます。
    コンセプトや性格が異なるので、それぞれにファンを持っている感じだと思います。
    レンデル自身は、やはりノン・シリーズを中心に据えていて、ウェクスフォード警部シリーズは、これだけ売れてファンがいると、止めに止められなかったといった状況があったようです。
    両方のシリーズともにコンスタントに出版されてきていて、双方約20作品、合計して40作品ほどになります。特に超寡作のP.D.ジェイムズと並置される存在なので、この点では多作さが目立っていますね。
    さらに、レンデルは、バーバラ・ヴァインの名義でも、多少趣向が異なるノン・シリーズものを書いています。

    サスペンスでは、やはりハイスミスとともに、僕の中では、というより一般的な評価において、クオリティの高さは文句なしです。
    ハイスミスがじわじわと重いラストへ迫りよっていく感じといえたら、レンデルはツイストを重ねながら揺さぶりラストを導く感じといえるでしょうか。さまざまな場面や人を描く、物語設定の特殊さや奇抜さは眼を見張るところです。
    また蛇足として、サスペンスの中で、独特のダークさやホラー加減を求めるなら、文句なしにコーネル・ウールリッチをお奨めします(『黒衣の花嫁』で女性恐怖症になり、『913号室の謎』でホテルに一人で泊まれなくなった人もいるかもしれません)。

    ノン・シリーズの登場人物は、狂気、異常心理、といったタームで語られますが、やはり、ちょっとした歯車の狂いから、行き着くところまでいってしまった人間、が描かれており、超えてはいけない一線の恐ろしさが良く伝わってきます。
    激昂を抑える、拒絶された愛欲を飲み込む、湧き上がる物欲を自制する、というような私たちの生活でもありそうな場面で、もし理性という安全弁が壊れてしまったら…、という眼を伏せたいような人間の負の心を、巧みな心理描写でもって描き、物語の世界に読者を引き込んできます。
    以下、お奨めの作品の感想を挙げます。

    ■『ロウフィールド館の惨劇』 
    レンデルといったら、まずこれ、というような象徴的作品であり、アクの強い作品でしょう。設定も面白いし、ドキドキハラハラのプロットも見事で、さっと読んでしまえる本でしょう。古本屋ではやはり良く見かけます。

    ■『荒野の絞首人』 
    タイトルですでにパンチをくらいますが、物語の舞台が、人里離れた荒涼とした原野という珍しい作品。
    この土地を幼い頃から知り尽くす主人公が、ある日、自分の庭ともいえる原野で死体を発見するところから物語は転回し始めます。これまたサスペンスには珍しく、フーダニットの要素のある作品で、ラストまで緊張が続きます。

    ■『求婚する男』 
    僕が挙げるレンデル・ベストというか最も印象に残る作品。
    殺人が表に来るような話ではなく、主人公ガイのレオノーラに対する盲目的な恋慕、騎士道精神が問題を引き起こす、という設定で、愛と狂気が問題になっています。いってみれば一方的なストーキングの話ですが、「なんだこれは?」という風にはならず、ガイの一心不乱で、混じりけのない行動に引き込まれていきます。
    レンデルの『石の微笑』や、同じようなテーマで書かれた、ハイスミスの『愛しすぎた男』あたりと読み比べても面白いと思います。読んで損はない、読むならまず先に読んでみて、という作品です。


    入手は、版元が分かれているだけに、困難且つ面倒です。書店で見かける機会も少なくなったので、ネット書店で大人買いできる人以外は、図書館、古本屋に当たった方が早いかもしれません。
    無理なお願いだけれど、同作家作品で版元が分かれているときに、いつも思ってしまうのですが、印刷しないのなら、印刷するところに版権譲渡してほしい…。

    ノン・シリーズなので、どれから読んでも楽しめる、というのが良いです。逆に、シリーズものの「ウェクスフォード警部」の方は第1作「薔薇の殺意」から順々に、としていたら、5作品も読めてない状態で頓挫です。
    ノン・シリーズの近作の数点はまだ訳が出ていない状況ですので、早く出してもらって、読むのを楽しみにしています。
    コラリー・クレモン 「ルゥからの手紙」 Coralie Clément  sall des pas perdus


    最近のフレンチ・ポップには詳しくないのですが、いくつか試聴した中で、一番ピンときたのが、コラリー・クレモン。
    この彼女のファースト・アルバムは、ヴォーカルもメロディも、良くいってフレンチ・ポップの王道をいっており、シンプルな演奏にアンニュイな女声が押し出される、いわゆるフレンチ・ポップを聴けるならば安心して聴ける一枚です。フランスでもヒットしたようです。

    プロデュースをしているのが、兄のバンジャマン・ビオレー。ソロの他、数々のアーティストの作曲やアレンジを手がける、まさに今をときめく音楽家とのこと。このCDの制作は、彼が作曲した歌を妹のコラリーに聴かせ、軽く歌わせてみたところから始まっているそうです。
    バンジャマン・ビオレーがケレン・アンとのパートナーである関係で、M1「sall des pas perdus」がケレン・アンの作詞ですが、他は作曲した曲は作詞までバンジャマンが手がけていて、まさにコラリーのためにバンジャマンが取り仕切ってつくったアルバムになっています。

    全体を通して、こうした経緯を見て当たり前かもしれませんが、とても均整が取れ、まとまった印象を受けます。演奏はアコースティック・ギターなどを中心に、ヴァイオリンやピアノ、サックスなどの音色が心地よく響いてくる。ヴォーカルにとてもマッチしていると思います。少しばかり曲の感想を。
    M3「ça valait la peine」は冒頭からのちょっと早口なヴォーカルが軽快なリズムにのって流れる小品。バックの演奏はとてもシンプルでやはりヴォーカルありきの曲。
    M7「sanba de mon coeur qui bat」はサンバとタイトルにあるけれど、メロディもヴォーカルもかなり切ないです。サビのリフレインが耳に残る、印象深い曲。
    M13「mes fenêtres donnent sur la cour」は、ピアノの伴奏がとても引き立っている、しっとりしたクラシック風味のするワルツ調の曲。間奏にはヴァイオリンなどの音が加わりますが、ヴォーカルとピアノ、アコースティック・ギターで織り成されていて、中でも美しい曲です。

    2ndも発売されていますが、これは1stのテイストとは異なり、ロック色の強いアルバムになっています。アレンジや音の加工の幅が強いので、1stのナチュラルさがなくなったのは少し残念ですが、別の一面を見せてくれていると思います(それよりもCCCDってことが嫌かな)。引き続き3rdにも期待したいです。

    原タイトルを見れば分かる通り、日本語タイトルは創作。
    しかし、M1「sall des pas perdus」が、ルゥという女性が駅のコンコース(=sall des pas perdus)であった男に認めたラヴレターの形式をとっているので、「ルゥからの手紙」なんてどの箇所にも出てきませんが、中々良いタイトルといえるでしょう。
    ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」におけるヴァリエーション
    フランスの音楽家、モーリス・ラヴェルの代表曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
    これはラヴェルの初期作品、つまりまだ彼がパリ音楽院生のときの作品ですが、ラヴェルの曲で一番愛され、演奏されている曲だと思います。音源を探しきれない位、さまざま場面で耳にします。ここでは、僕が持っている音源から多少のヴァリエーションを紹介したいと思います。
    ちなみに、ある一つの曲、メロディにおける、演奏楽器や編曲のヴァリエーションを楽しむ、というのは僕にとって割りと好みの音楽の聴き方です。最近では、マキアージュのCM曲がお気に入りです。最初のアコースティックギターに口笛が乗ってくるメロディを聴いたときに無条件でかっこいいな、と思いました。THIRTIETH CO.,LTD.で4ヴァージョン聴けます(サンプルじゃなくて全て聴けるという素晴らしいサーヴィス!)。あと山田タマルさんがCD出しているようです。

    ○ピアノ・ソロ
    もともとピアノ曲であるので、スタンダードになる演奏。それ故に、奏者も多数。代表的な奏者をあげると、モニク・アース、サンソン・フランソワ。お好みの演奏を探してみても良いでしょう。因みに、二台のピアノのための編曲では、「ボレロ」「ラ・ヴァルス」などの音源があり、特に「ボレロ」は、さんざんオーケストラ演奏がCMなどで流れ耳タコになる中、また異なる趣が楽しめます。

    ・モニク・アース
    ・サンソン・フランソワ


    ○オーケストラ
    ラヴェルがオーケストラ編曲を得意としていただけに、自身で後年オーケストラル・ヴァージョンをつくっています。僕が持っている音源は、小澤征爾指揮(ボストン交響楽団)のもの。これもピアノソロほどではないにしろ、CDがないということはないくらいにあります。

    ・小澤征爾「ラヴェル:ボレロ」

    ○ギター
    数はそうはないものの、日本で有名な奏者に取り上げられています。それ故、下の二重奏ヴァージョン以外は、入手は困難ではないです。もちろん、演奏、編曲で印象は大きく異なっています。楽譜もギター編曲のものは意外に普通にあるのが嬉しいですね。

    ・渡辺香津美「Guitar Renaissance」
     この「Guitar Renaissance」はお奨め。選曲も幅広く、演奏にはスチールとガットの両方のギターが用いられている。「亡き~」に関しては、スチール弦演奏。高音がキンキンすることのない、朗らかな感じの仕上がり。
    ・村治佳織「リュミエール」
     クラシック・ギターの演奏ならば村治。このCDの編曲はいい感じ。またアルバム自体もフランス音楽中心になっています。サティ「ジムノペディ」、ドビュッシー「亜麻色~」などとごくスタンダードな選曲。音楽とは別に、この人はルックスでも売っているのか、っていうミニ写真集がCDに付いてくる…。
    ・ジュリアン・ブリーム&ジョン・ウィリアムス「Together」
     ほとんどないギター二重奏曲集(二枚組み)。ギター定番曲が中心を占めますが、近代音楽では、ラヴェル以外にドビュッシーも取り上げられていて、「ゴリウォーグのケークウォーク」なんかはまさに二重奏こそ。日本語の副題が「超絶のギター・デュオ」という、貴重な一枚。

    ○電子音楽(シンセサイザー)
    とにかく冨田勲が有名でしょう。しかし個人的には苦手。やはり独自解釈が強すぎるし、メロディ主体ではないからだろうか。

    ・冨田勲「ダフニスとクロエ」

    ○ハープ
     ハープ自体あまり音源がないので、入手は難しいかもしれないです。しかし、ハープの音色は本当に綺麗で、フランス印象音楽にあっています。僕が持っているのは以下の一枚。他にも少しですが、ハープでの音源がある模様。

    ・マリア・グラーフ「リサイタル」
     フランス近代音楽を集めた一枚。これもドビュッシー「アラベスク」なんかはとても良い。


    その他にも、ジャズなんかでは取り上げられているのは聞くし、チェロ、フルート、トロンボーン、ホルン、オーボエ、フルート&ハープなどの演奏が身近な音源であるようです。極めつけはヴォーカル入り。今度聴いてみます。
    最後に、一番聴きたいのが、マンドリン・オーケストラヴァージョンかな。マンドリン&ギターはあるし、いざとなったら編曲してできそうだけれど、オーケストラはそうはいかないから。というか、マンドリン・オーケストラはほとんど一般でCDはないです。多くがアマチュア(大学、社会人)での自主録音・制作になってしまう。残念ですが、こればかりは仕方ないですね。
    ラ・フォンテーヌの寓話


    フランスの詩人・モラリストとして知られる、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(1621-1695)。この寓話集は彼が30年に及んで書き記した、イソップ物語などに取材したものです。全話あつめると200を超える大作!。

    寓話ということで、半ページから4ページくらいの短い文章に、生きる上でのさまざまな教訓を載せています。登場人物もほとんどが動物で、猫、ねずみ、しし、きつね、狼、羊などが擬人化され形でコミカルに描かれています。
    ししは愚かな王、きつねはずるがしこい物知り、狼は知恵の足りない貪欲者、ねずみは力のない烏合の衆、などなど描かれるイメージはごく分かり易いものです。おそらく、読んだことない人でも知っている話は多少あると思います。

    ラ・フォンテーヌは子供には…、という意見がありますが、僕は、子供では分からない、のではなく、真に楽しめないのだと感じます。寓話は正直ものが最後には救われる、とかそういうクリアな話ではなく、大人の世界にある欺瞞、虚栄、強欲、怠惰などを上手く描いてしまっているので、やはりこうした世界の話を苦笑交じりで楽しめるのはそこに暮らす大人だろうと。でも寓話が今まで読み継がれてきたのは万人に共通して当てはまるメッセージがあるからでしょう。
    以下、印象に残った話をかいつまんで挙げます(テクストは社会思想社のもの)。


    ■ねずみと象
    「自分を相当な人物と思う人間は、フランスにざらにいる。/かれらはもったいぶった風をするが/しばしば一介の町人にすぎない。/この風潮こそは、まさにフランスの癌だ。」

    という前書きから始まります。あるところで、ねずみの中の一番小さいものが、象の中の一番大きいものを見て、象ののろい歩き方を冷笑しました。しかし象は巡礼に向かう家族を載せ、見る人の感嘆を集めています。
    これに納得いかないねずみは、占める場所の大小によって重要性の大小が決められるのか? 私は小さくとも、その価値は象よりも少しも小さくはない、といいました。最後には以下の文章が並びます。

    「かれには言い分がもっとあったはず。/しかし、猫が籠から飛び出して/たちまちに思い知らせた、/しょせん、ねずみは象ではないことを。」


    ■狼と狩人
    金を蓄積しようということを唯一の命題とする心を非難して以下の文が続きます。

    人間はわたしの声にも、賢者のそれにも耳を貸さない。/かれは決して言わないのか? 「もう沢山だ、楽しもう」と。/「友よ。急ごう、きみもそれほど生きられるわけではない。わたしはこの言葉を繰り返す、一冊の書物にも値するものだから。≪楽しめ≫と」「そうしよう」「いつから」「明日から」。

    そして、狼と狩人の寓話が語られます。
    狩人は、鹿を射ました。そしてその子供が通りかかると、これも射ました。獲物としては立派なものです。
    しかし、一匹のいのししがまた射手の心を誘います。そして、いのししも亡き者に。
    十分すぎる財産ですが、これでも射手は満足しません。いのししが息をふきかえす間に、射手はしゃこを見つけます。先の獲物に比べたらつまらぬものですが、射手は弓を構えます。その間、いのししは、残りの力で敵を倒し、共に息絶えました。

    物語はこれで終わりません。
    通りすがりの狼がこの4つの死体が転がる光景に鉢合わせます。狼は大変喜びし、たっぷり四週間は大丈夫。2日後から始めよう、といいます。
    狼はさしあたり、腸でできている弓の弦を食べようとします。しかし、狼が弓に飛び掛ると、弦が緩み、その矢は新たな死者を作りました。

    「わたしは、本題に戻る。人は楽しむべきもの、その証拠には共通の運命に罰せられた二人の強欲者を思うが良い、/欲求が一人をほろぼし、/他方はけちで死んだ。」


    ■猫ときつね
    猫ときつねが巡礼の旅に出ました。二匹は口先上手の偽善者。旅費をごまかしたり、山ほど鳥を食べ、チーズをだましとり、競って元手をかせぎまくりました。
    しかし、長い旅程に倦きるもので、議論を始めます。議論は身近なものに及び、ついにきつねが猫に言いました。
    「きみは非常な利口者というが俺ほどの物知りか? 俺の知恵は袋に百も入っている」。
    猫はこれに対して「こちらの頭陀袋には一つきりさ、でも、そいつは千にも値すると言い切れる」。
    二人が再び争って議論を始めると、猟犬の群れが襲いにかかってきました。猫はさっと木に登りました。きつねは百の術策を用いますが、どれも無駄。最後には猟犬の餌食になっていました。ラ・フォンテーヌはこの寓話から次の教訓を引き出します。

    「あまりの策は、ことを仕損じかねない。/選択に時間を失い、試みに追われ、ためしてみるだけが関の山。/一つだけを、最良のものを一つだけ持とう。」


    このような面白い話が幾つも納められています。
    面白いし、短く読みやすくて、長い小説をじっくり読むことがちょっとおっくうになった僕のようなものにはぴったりです(生活が不規則で、やること・やりたいことがたまっていると毎日決まった分量をテンポ良く読む、というのはしにくくなりますね)。
    またラ・フォンテーヌの寓話は、話に加え、その挿絵が魅力。
    僕の読んだ本の挿絵として使われている、ギュスターヴ・ドレを始め、マルク・シャガールやギュスターヴ・モローなど数々の画家が寓話に基づく絵を残しています。
    ドレは、動物を擬人化・ディフォルメせず、写実的に描いてるのに、全然つまらなくなってません。上は、「ねずみの会議」の挿絵ですが、リアルなねずみに少し人間的な仕草を加えるだけで、見事な世界観をつくっています。

    最近ではベスト・ヒットな本でした。内容が内容なので、同年代の人に積極的に奨める、っていう本ではないですが、多分、そこいらの本よりはためになる本。説教も寓話からあれこれ、とされていたら僕も少しはまっとうな人間になっていたかもしれませんね…。
    アーヴィング・ゴフマン著作リスト
    アメリカの社会学者、アーヴィング・ゴフマン(ゴッフマンとも表記。というかゴッフマンの一般的であるようだ)(Erving Goffman 1922‐1982)の著作について身近なところでまとめておきたいと思いました。ネットにも多少リストはあるものの、改訳版なども出ているし、自分の見易いようにしておこうと思い立った次第です。しかし、ネットにわざわざアップするのは、今回調べるに当たって、ゴフマンの著作が意外に未訳のものが多いこと、そして出版されているものも絶版・品薄であることが分かったことが大きいです。この場を借りて、影響力はほぼ0ですが、改装、改訳の動きなどもあったのだから、未訳の分の出版やより著作にアクセスしやすい状態を希望していることをいっておきたいと思います。特に、『Frame analysis』は結構論文に言及があるのに日本語では読めない…。その前に、ゴフマンは最後にアメリカ社会学会会長になっているほどの人物なのですが。
    また、最新の出版は、『儀礼としての相互行為──対面行動の社会学』の改訳版ですが、この著作の翻訳者は社会学関係の人ではないようで、何か旧版の方が…、と思わなくもないです。ことばは結構現代的というか柔らかくなっている印象で、やはり、関係者と専門外の人が訳すのでは温度差があるなあ、と実感。



    Erving Goffman(1922‐1982)

    1959: The Presentation of Self in Everyday Life
    『行為と演技──日常生活における自己呈示』 誠信書房 石黒毅訳1974
    1961: Encounters: Two Studies in the Sociology of Interaction
    『出会い──相互行為の社会学』 誠信書房 佐藤毅, 折橋徹彦訳1985
    1961: Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patients and Other Inmates.
    『アサイラム──施設収容者の日常世界』 誠信書房 石黒毅訳1984
    1963: Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity.
    『スティグマの社会学──烙印を押されたアイデンティティ』せりか書房 石黒毅訳1981,1990(改訂版)
    1963: Behavior in Public Places: Notes on the Social Organization of Gatherings
      『集まりの構造──新しい日常行動論を求めて』 誠信書房 丸木恵祐子・本名信行訳1980
    1967: Interaction Ritual: Essays on Face-to-Face Behavior   
    『儀礼としての相互行為──対面行動の社会学』 法政大学出版局 広瀬英彦・安江孝司訳1986 浅野敏夫訳2002(新訳版)
    1969: Strategic Interaction
    1971: Relations in Public: Micro-Studies of the Public Order
    1974: Frame analysis: An essay on the organization of experience.
    1979: Gender Advertisements
    1981: Forms of Talk

    参考書
    ・『ゴフマン世界の再構成 : 共在の技法と秩序』安川一編
     ゴフマン研究の論文集。安川氏の論文は難しい専門用語ぎっしりでは なく、くだけていて読み易い。図書案内があるなど、入門書的な位置づけの本。
    ・『アーヴィング・ゴッフマン』 イーヴ・ヴァンカン せりか書房 石黒毅訳1999
    ゴフマンの略歴、著作解説らしい。未読。
    ・『アイデンティティの権力』 坂本佳鶴恵 新曜社2005
    ゴフマンの理論を中心に扱っている。中々興味深い本。
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