芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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  • 『不思議を売る男』 ジェラルディン・マコーリアン


    『不思議を売る男』 ジェラルディン・マコーリアン 金原瑞人訳 偕成社

    タイトルと魅力的な表紙絵(佐竹美保)で手に取らされていた本。
    本の国からやってきた本好きの謎の男、MCC・バークシャー。図書館で少女エイルサは、偶然MCCと出会い、彼を彼女の家の古道具店に案内することに。そこでMCCはアンティークを売る商売の手伝いを始めることになります。
    そして、この男はものを売るときに、その商品にまつわる面白い話を客に振舞うのです。そうすると聞く前には買う気のない客も、話を聞いた後にはその話のとりこになり商品を買っていく、という筋で物語は進行していきます。

    一話一話、あるアンティークととそれにまつわる話が取り上げられる形式で、あとがきでもいわれていたように千夜一夜物語のような構成です。シェヘラザード役は胡散くさい身元不詳の男ですが…。
    各章でMCCによって語られる話は、場所も場面もそれぞれで、オチも教訓もそれぞれ。良くこんなヴァラエティに富む話をつくれるな、と感心します。
    そして、意表をつくラスト。これも、あとがきで、「読みおえたあと、けっしてほかの人に、最後を教えないように」と釘がさされているので、ここでは、お楽しみに!、としかいえません。
    さらに、原題は『A PACK OF LIES』ということも念頭に入れて読むと、面白さが増すでしょう。

    児童書コーナーにおかれていますが、語彙や固有名詞からいって大人じゃなければ(というか大人でも)全ては噛み砕けないでしょう、というような設定が多いです。
    とりあえず数例を抜粋すると、複式簿記、柱門、蹄鉄投げ、馬丁、シーク教とかいろいろな言葉が出てくるし、旧約聖書や宗教戦争とかの設定なども盛り込まれていたり、文章は振り仮名オンパレードな感じになっています。
    また話も斜めに読むと頭に入ってこない感じなので、一章一章ゆっくり味わうのが良いと思います。僕も、機会があったらまた読み返してもいいかなと思っています。
    各章完結で、そのため全体としてハラハラするような展開の物語ではないので、一気に読んでしまうような本ではないですが、章ごとに独自の話を楽しめるので、合間合間に読むには丁度良い本だと思います。
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    CAFÉ DE FLORE vol.2 カフェ・ドゥ・フロール vol..2


    パリでカフェといったら、まず名が挙がってくるサンジェルマン・デ・プレにある有名カフェ、カフェ・ドゥ・フロール。サルトルをはじめとする思想家や、ピカソ、ブラックなどの芸術家が集まったという由緒あるカフェで、僕などはお呼びもつかないところです。
    このCDは、こんなカフェで流れる楽曲をイメージした、コンピレーションアルバム。

    曲数は22曲で、全体としてなんとなくレトロな匂いのする感じでしょうか(金管楽器が多く使われているためかな…)。
    ハイテンポな曲や演奏がやかましい曲はなく、きちんとしたコンピレーションになってます。また、全曲フランスの曲でということもなく、英詩曲もあります。Black Box Recorderはフランス人好み(?)のウィスパー・ヴォイスで、周りとあまり違和感もない!
    また、日本でも、フレンチポップをあつめたアルバムがありますが、ほとんど固定アーティストで占められている半面、このアルバムはそういう装いから離れています。
    僕は、曲では、「Under Paris skies」「L-O-V-E」、アーティストでは、セルジュ・ゲンズブール、フランソワーズ・アルディ、ケレン・アンくらいしか知っているものがなく、あとはシャンソンに詳しいひとじゃなきゃ聞いたことないのでは、という曲・アーティストばかりで、こういうところは逆に新鮮なのではないでしょうか。
    また、そういうことで、ジェーン・バーキンに始まるような、ロリータ・ヴォイスからも趣向がずれているので、違う一面からのフレンチ・テイストを味わえるアルバムだと思います。
    「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館


    アメリカの日本美術収集家のジョー・プライス氏のコレクションによる展覧会。江戸絵画に絞られたコレクションは世界有数のもので、一時里帰りする名品を見るのに貴重な機会です。
    そういうことで、会場は午前中からとても混んでいました。僕の基準では絵画を見る環境ではないところまでいっていました。
    いつも思うのですが、こんなに絵に興味がある人がいたら、周りにもっと絵を描く人がいてもいいのでは、と何気に思ってしまいます。もちろん、音楽を聴く人=音楽をする人にならないのと同じで、そうならないのは分かりますが。
    僕としては久しぶりの日本画を見る機会でした。やはり行く動機となるのは、円山応挙、長沢蘆雪、酒井抱一あたりの絵です。彼らの描く動植物画は本当に見事です。人物画とは違って、動物、植物画は早くから写実の要素が発展してきて、特に江戸中期は素晴らしい技術を持った絵師が沢山出てきますね。

    構成は5部構成で、正統派絵画、京の画家、エキセントリック、江戸の画家、江戸琳派、という風になっています。

    ・正統派絵画は、御用絵師による形式を保った絵が中心。狩野元信、という絵がありましたが、やはり「伝」でした。元信は真作はとても少ないですからね。ここでは迫力のある、曽我二直庵「松鷹図」屏風が良かったです。
    ・京の画家は、円山応挙、長沢蘆雪と僕の見たかった章。応挙に関しては、彩色での動植物画はなかったのは残念。逆に蘆雪は沢山見るものがありました。蘆雪は、かなり前にリーフレットに載っていた絵を見て、興味をもち、名前を覚えていた画家です。今回、やっとまとまった作品を見る機会にありつけたわけです。蘆雪は、面白くディフォルメされた動物を描いていて、応挙の描く絵とは結構対照的です。いろいろな線が描ける絵師で、応挙の高弟というのが不思議なくらい奇抜さを感じます。特に「神仙亀図」という少ない筆で仕上げられた、勢いがある絵がある一方、写実的で、彩色見事な「牡丹孔雀図屏風」という応挙の模写も残しているのはびっくりでした。
    ・エキセントリックの章は伊藤若冲メイン。若冲というと、これでもかという艶やかさをもった鶏の絵がイメージされますが、しぶい水墨画も見れたのは収穫でした。特に、六曲一双の「鶴図屏風」(一部、下図)は、鶴をわずかな筆でかたちづくっていて、一筆で鶴の曲線を「決める」緊張感はすごい。絵をかじっていると「一発決め」がいかに難しいのはとても良く分かるので、それができている作品には大変魅かれます。本当に若冲だから、っていうのが分かります。そして大胆な筆さばきがある一方、細かく丁寧に羽や花が仕上げられているのも注目するところ。他はあまり見れませんでした。すごく混んでいる…。
    ・江戸の画家は、19世紀のさまざまな絵師の絵が集まっています。僕の聞いたことのない絵師がほとんどで、人物を題材にしたものが多かった章です。引目鉤鼻のひらべったい人物表現はあまり好きではないのでコメントは控えますが、例外として勝川春英「鍾馗図」は動的な構図が目立つ良い絵だと思いました。
    ・江戸琳派の章は、酒井抱一、とその弟子、鈴木基一がメイン。見所は酒井抱一の「十二か月花鳥」(一部、上図)です。この主題でかかれた12幅は宮内庁や出光美術館にもあります。花、草、日、虫といろいろ組み合わされていて、楽しめるシリーズ。抱一の植物は、細かな描写と滲みなどで表現された色の具合があり、とても綺麗です。もっと見たい感が残りました。

    また、この展覧会は所有者のプライス氏の意見が強く反映されていて、作品選びや構成に加え、照明まで氏のこだわりが示されています。最後の展示室では、屏風の左右に照明を置き、左右の光量をずらしたり、全体を明るくしたり暗くしたり、して光の当て方による雰囲気の違いを感じられるように展示されています。ガラスケースごしにずっと見るより、はるかに良い試みだと思いました。
    加えてオフィシャルサイトに加え、オフィシャルブログがあり、作品を大きな画像で見れるのが嬉しいです。行けない方には是非、ブログだけでもお奨めします。
    会期は短めですが、中心画家と周辺画家、両方の良い作品が見られる機会であって、江戸中期以降の絵に興味がある人は質、量とも満足だったと思います。




    パトリシア・ハイスミス『回転する世界の静止点』『目には見えない何か』


    『回転する世界の静止点』初期短編集(1938-1949)
    『目には見えない何か』中後期短編集(1952-1982)
    パトリシア・ハイスミス 宮脇孝雄訳 河出書房新社

    サスペンス小説の巨匠、パトリシア・ハイスミスの死後まとめられた最新の短編集です。
    存在を知ったときは、生前に編まれていた短編集から作品を選択、整理したものかと思っていましたが、全く違いました。
    主なテクストは、ハイスミスの死後、残された未発表のファイルから採られています。それなので、単行本、雑誌等に収録されたものはありますが、ほとんどが本書で初めて公開されるものです。
    特に、『回転する世界の静止点』は、処女長編『見知らぬ乗客』が1950年、処女短編集『11の物語』が1970年出版ということを考えると、いままで明らかにされることはなかった時代のハイスミスの作品集ということになります。
    また、『目には見えない何か』も、何らかの理由で公開されたかった作品ということもあって、共に新たな角度からハイスミスを見ることができる本だと思います。

    『回転する世界の静止点』は、デビュー前の短編ということで、いままで受けてきたハイスミスの印象とは結び付かない作品ばかりです。
    良いいい方ではないですが、後の長編的な印象を持つのは、「広場にて」くらいではないでしょうか。後は、タイトルにもなっている「回転する世界の静止点」を始め、やはりどう読んでいいのか当惑するような気分になります。
    ですが、今までの短編集で特徴的な、ある意味つくられた危うい人間性、秩序立てられた文明などを穿って見る見方は健在で、学校の体育の時間をコミカルに描く「ミス・ジャストと緑の体操服を着た少女たち」、完璧な鑑定眼を持つ贋作コレクターを扱う「カードの館」などは面白く読めます。歪んだ愛情、自己愛、猜疑心、嫉妬、恐れ、など揺れの激しい、陰鬱な人間の心理を取り上げる世界観はハイスミスならではです。

    一方、『目には見えない何か』は長編デビュー後の短編ということもあってか、『回転する~』よりもストーリー自体の面白さを楽しめる作品が集まっています。
    特に、救われずに破滅へ向かう人間、ではく、皮肉が混じりますが、心は救われる人間を描いた物語が意外にあったのは眼に留まる点です。
    これとあわせて、同じ時期に未読だった長編『変身の恐怖』を読んだこともあって、ハイスミス感が少し変わりました。
    また、ハイスミスの得意とする動物を扱ったストーリーもあって、効果的に動物と人間世界を対比する皮肉交じりの物語はやはり面白いです。特に、とても行儀の良い犬が出てくる「人間の最良の友」は、犬好きの人はもちろん、そうではない人も、とても楽しめる作品です。


    僕の拙い紹介はこれで終わるとして、とても詳しい解説が『目には見えない何か』の巻末にあるので、それを参照してもらいたいと思います。
    まだ未発表の原稿があるということなので、このように折りを見て発表してもらいたい、と一読者として思います。

    また、この場を借りていいたいことは、ハイスミスの長編の手に入りにくさ。特に、唯一のシリーズ作品である、リプリー・シリーズは、河出文庫から出ていますが、二三作目は品切で身近な図書館、古本屋でもない状態。一作目『リプリー』がマット・デイモン主演で再映画化もしたわけだし、原作の続編が読めない状態は解消してもらいたいと思います。



    『ゲド戦記』所感
    幼い頃からジブリ映画は映画館で見るということが習慣となった僕にとって、今回、多少ながら心配していたことは、この映画が、プロモーションとは反対に、かなりといっていいほどの否定的評価を受けていたことである。正直、これほどまでに、という表現を見て驚いていた。僕としては、他者の作品を公然とこき下ろしてみることは理由の如何にせよ憚られる。ここでは、ひどく個人的な見方かもしれないが、それらに対しての一つ見方を提示しておきたい(それ故、以下は素直な感想とはいえないかもしれない。最後に読み返すと確かに、否定発言への自分なりの応答になってしまっている。しかし、見る前に大量且つ深刻な否定コメントを見てしまった以上、それを分析的に見てしまうのは仕方なかった。このような意味で、今までのジブリ映画感想と背反する大量コメントを見てしまった、あるいは存在を知ってしまった人は、残念ながら素では見れないだろう。)

    まず、正当に、あるべき手続きを踏んで、作品を批判、批評(ある程度公性がある、あるいはそれを求められる意見)をするには以下の確認事項が念頭にある必要があると思う。もちろん、これは制限事項であるから、数が少ない方が良いだろう。
    原則論として、
    ・作者その人と作品の批判・批評は分けられるべきであること。(個人のある要素と作品の結び付きをいうなら問題ない)
    ・批評・批判であるならば、もちろん誹謗・中傷ではなく、一般性(客観性)をもった論拠があるべきこと。
    ・一つの作品でもって、独立して批評・批判可能であること。
    ・パースペクティヴの差異などによって意見の優劣(これが仮にあるとして)は論じられないこと。
    事実確認として(僕も優れて詳しくはないので、追加されるべきかもしれないが)、
    ・ジブリ映画=宮崎駿監督作品ではないこと。
    ・監督は、宮崎駿監督の息子であり、一新人監督であること。

    以上、僕として然るべきだと思うことしか述べていないが、これらが確認されて、批評・批判がなされて欲しい。

    以下は個人としての感想。
    ・ストーリーについて。
    まず、僕は原作を読んでないので、それとの関連で述べることはできない。そのような立場の感想として、多く説明を省くような箇所が幾つかあると思う。そして、それがストーリー(または世界観)の根幹部に強く関わってしまっている。これが、人の「諒解感」をなくしているのだと思った(つまり「場を借りてる」感を残す。ストーリーテリングが最初に来ない感じ)。自己補完的にストーリーを見る必要が多分にあるだろう。また、最初に話の終着点がおおよそ掴めたり、伏線的内容が充満してたり、始終緊迫したシーン、笑いを誘うシーンなどを描いたりしているわけではないので(こういうのを強く求めるなら同時に公開されている某映画を奨める)、これがある種の冗長感なり物足りなさを人によって感じさせるのだろうと思った。僕なりの表現でいえば、P.D.ジェイムズのダルグリッシュ・シリーズを愛読できる感受性があるならば、まったく問題ないといったところ。この映画についていえば、原因(過去)、結果(これから)をあまり強くはっきり描かないで、過程をざっと見せる感じといえるかもしれない。万人受けはしないし、子供向け(良い意味で)でもないと思った。そもそもキャラクタがF(x)的なキャラ(xに自己イメージを代入)では一般的になさそうであるから、その距離感が否定感情を増している感もする。
    ・作画について。
    背景について問題をいっていた意見があったが、僕としては背景は問題なかった(挙げるとしたら、強風に揺れる草木の表現くらい)。むしろ、その作画をたたえたい。空(雲、光、星)や建物(煉瓦、タイル)などは良いと思った。また効果的な俯瞰構図なども良く背景を見せていた。一般的なアニメ絵のように、輪郭線を強調しない画調であり、よりピクチャレスクな作画なので、(そこに人物を配したとき)違和感を持たれるのかな、とも思った。背景よりも僕は、人物・動物表現のディフォルメ感や骨格の方が目に付いた。正直、これが一番気になってしまった。
    ・その他。
    良くいわれる声優棒読み批判は、僕としてはさほど気にならない。普通に喋っても、そんなに抑揚つけたり、全て滑らかだったりするかな、なんて思ったりもしなくもない。それよりもタレント、新人ということに批判がくるのだろうと思う。メッセージを言葉で直に言わせすぎ批判は、人それぞれでは(この言葉を出したら駄目か。でも会話内容が荒く、実直で、真面目で、人生観にも関わる「ような」ものなので、敢えてこういう)。言葉ではっきりいうことで、やんわり感は意図的に消せるし、会話内容もそれなりに咀嚼が必要だった。個人的にはそのようにいってもらって良かった。
    角野栄子 「魔女の宅急便」シリーズ


    ジブリ映画で作品タイトルは有名ですが、その原作になったのが角野栄子『魔女の宅急便』です。
    このような場合しばしば、原作と派生作品との関係は問題になるところですが、このシリーズでいえば、原作と映画は別ものとして考えた方が良いと思います。
    両方共に独自の良さがある、それぞれの世界観があると思います。宮崎監督の原作独自解釈は周知のことですし、映画化した後に、原作の方はシリーズ化しているわけですからね。
    また「シリーズ」と書きましたが、シリーズは完結していません。現段階では、1-4巻が発刊されていて、5巻の原稿が出来上がり、6巻へと続くようです。
    レヴューも5巻発売まで待っても良かったのですが、なかなか出ないし、シリーズがそれで完結するのではないということなので、5巻が出る前に、1-4巻までに簡単に触れてみたいと思った次第です。


    1巻は、魔女の家に生まれたキキが、13歳の年に独り立ちし、行き着いたコリコの町で「宅急便」の仕事を始め、奮闘する一年を描いたものです。
    各章ごとにいろいろなものを届けるという、オムニバス形式に近い構成です。ジブリ映画はこれを、2時間におさまる、より流れを持たせた構成にしていて、ストーリーがそれに沿って取捨選択、追加されているわけです。
    ジブリ映画の方はやはり自分の中で大きな作品であり、原作を読むきっかけにもなっているので少し書いておきます。
    映画が原作と大きく異なるところは、ずばり「キキの魔法の低下と回復」に関わるところだと思います。
    ネタばれということも、もうないと思いますが、映画ではキキは魔法が低下し、ほうきで飛べなくなり、ジジとも会話できなくなります。トンボの危機に際して、キキは魔法を取り戻し、空を飛べるようになりますが、ジジとは会話できないままでした。僕は、ここにジブリ映画としてのメッセージがあると思っています。

    2巻は、その後のキキの活躍を描いたもの。
    当然ながら、1巻完結かシリーズ化するかの分岐点になるのが2巻の存在です。「魔女の宅急便」の場合、出版年のスパンからも顕著に分かります。
    物語は、コリコの町での二年目のキキの活躍で、構成も1巻を踏襲しています。宅急便屋として生活を立てることに自信を持てるようになったキキが、魔女としての心の問題にぶつかる、という展開です。

    3巻からは、各話独立的な形式から、一連の流れのある小説へと構成が変わります。キキの前に突如、もう一人の魔女(?)が登場する、という話です。16歳になったキキの問題も、嫉妬や疑い、またはアイデンティティ、恋愛といったものに関わってきて、「小学校中級以上」対象読みものの、「以上」の部分が多くなるように思います。
    ここでも、全てが完結部で、明らかに語られる、というような感じではないです。

    4巻は、作品タイトルずばり「キキの恋」。全体として、魔女という要素から離れた内容になっています。


    作品の主題となるものは、大まかな枠では、人間の独り立ち、成長に当てられていて、魔女といっても思春期の少女が普通に持つ問題が取り上げられますが、作者も述べているように、その下にあるものは、「見える世界」と「見えない世界」というテーマです。
    僕が解説するより、これは是非、作者の講演を参照してもらいたいです。僕としても、このことにはとても共感しますし、ジブリ作品にも多くリンクすることだと思います。
    科学で割り切れないような、感情の世界、不思議の世界、子供独自の世界など「見えない世界」は、意識して、それと向き合わないと感じられないし、何も与えてくれない。そしてそれを自分なりに形作ることが、成長につながっているというメッセージです。3巻以降は特に目立つように思います。

    「見えない世界」にスポットを当てる、というテーマが貫かれて、それが象徴的に扱われている部分が多いからこそ、内容全てが直ちに諒解できるものにはなっていません。
    「大人」である僕が読んでも、内容がすっと入ってこないところがあり、「子供専用」な読み物でない面があるのです。
    また、会話や歌にかかる文章は詩的なものが多く、ことばの面でもコミカルな独自の世界観をつくっています。


    最後に挿絵について。
    1巻・林明子、2巻・広野多珂子、3‐4巻・佐竹美保、というように、イラストレーターはシリーズで統一されていません。
    でも担当が変わっても、イメージが大きく逸脱するようなことはなく、それぞれの趣が感じられてそれはそれで良いと思います。

    林明子さんの絵は三者の中では、一番雰囲気がある絵。シリーズの世界観を作ったという意味で重要です。
    広野さんの絵はとても繊細な線で描かれています。人物も穏やかに表現されていて好感が持てます。その他の作品の絵を見てもほのぼのした温かみのある絵を描かれています。
    佐竹さんの絵は、多少1、2巻の趣から外れていて、ある種漫画的な要素がある印象です。でもこの人は、イラストレーターとしては一級の仕事をしていて、さまざまなイメージを使い分けられる人のようです。
    手がけている表紙絵、得にカラーのものは、特異な色彩感覚、構成感覚が見られて、感嘆です。スクラッチボードを利用しているかと思いますが、魔女に合った白と黒の世界を上手くつくっていますね。5巻でも楽しみにしたいところです。

    挿絵をどう捉えるかというのは、人ぞれぞれかと思いますが、物語(ここでは特にファンタジー)の場合、特に重要な要素だと思います。
    物語の世界観を共有できるのは、やはり人が描いた絵の世界観だと思うのです。その意味で、あまりファンタジー世界の「実写」(=作品の実写化や実写としてのSF)というのは好みではないです。
    例えば、『作品』は文章そのもの自体であって、挿絵は二次的なもの、という意見は成り立つとは思いますが、僕はそうは考えていません。文章と挿絵があって、このような本は『作品』であると思っています。もちろん、下手な挿絵で原文の価値が下がる、ということではなく、あくまでも、挿絵と文章が合えば、読まれるし、愛されるということです。


    子供向け、だけということはないと書きましたが、僕も実際、子供の頃から家に1巻は置いてあったものの、シリーズを通して読んでみたのは最近です。大学入ってから小説とは離れていたので、文学賞をとるような本よりもしっくり読めたかな。
    ちなみに、小中時は小中向けの本ではなく、まさに歴史小説を好んでいたので、その反動も効いているかもしれません。
    でも今、図書館に行って、横にいる背の低い少年が、童門冬二とか早乙女貢とか借りてたら「えっ?」って僕でも思いますね…。




    アイデンティティの保守手順に関する若干の考察
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