芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    La Creatura ラ・クレアトゥーラ
    吉祥寺、サンロード沿いのビル3Fにある、イタリアンレストラン。
    内装は、モノクロの写真が壁を飾っていて、雰囲気あります。接客も良いし。それとメダムがにぎやかでした。それを抜きにすればかなり落ち着ける感じ。
    いろいろなコースが頼めるようですが、学生らしくランチパスタを食べに行ってまいりました。
    内容は、スパゲティ、自家製パン、サラダ、ドリンクで850円から、といった感じです。ランチはパスタ以外もあるようです。
    自家製パンは、弾力あってとても美味しいです。また、スパゲティはきちんとしたアルデンテになっていて、これも美味しかったです。
    食後のアイスコーヒーも、氷過多でしたが、味は良かったです。
    ただ、パスタは量はないと思うので、食欲ある方は大盛りの方がいいと思います(大盛りにしても、正直、故郷のイタリアンレストラン、シャンゴの普通サイズの二分の一ですが)。
    あと、頼んだ、モッツァレラチーズのトマトクリームは、僕にはちょっと辛かったかな。今度は違うのを食べてみようと思います。
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    「企業の社会的責任」と道徳性のイメージ
     ここ十年で、「企業の社会的責任」という言葉で、企業の社会での役割が問われるようになった。確かに、公害問題から企業の反社会的な行為が糾弾され始めたが、明らかに、今の「企業の社会的責任」は、それらの問題と異なった様相を見せている。この背景として、市場がグローバル化し、企業のブランディング力がより重要になったことがあるだろう。製品が世界市場で受け入れられるためには、企業に対する良いイメージが不可欠である。例えば、欧米では、人種差別的、環境破壊的な企業の生産活動が不買運動に繋がるなど、人や環境に配慮しない企業の利益追求のあり方が否定される事例が多くあった。このために、企業は、ただ法令に則り経営すること以上に、雇用の幅を広げたり、環境保全のボランティアをしたり、文化事業のスポンサーになったりと、利潤に反しても、社会貢献をするようになってきた。
     ここで見られることとは、イメージでの企業価値の創出といえる。環境保全、情報開示、自由化などの流れに逆らわず、相次ぐ不祥事で募る市場への不信感を払拭し、利潤を確保するためには、今までの消極的な責任でなく、積極的な責任を掲げ、自らアピールし、道徳性というイメージの企業価値を得ていくことが重要である。企業がその役割を自ら拡大し、社会道徳というものを体現することで企業価値を増す、というスタイルはさらに広がりを見せるだろう。
     この流れを見ると、社会の道徳規範(パラダイム)の価値を凝集することが、人々に対して集合力を持って働くという側面が如実に見て取れる。個々人が環境問題などに問題関心を持っていようが持っていまいが、環境に優しいその商品は、一般化された善なるイメージを以ってして彼に働きかける。いわば社会的価値を付与されたイメージとしての商品は、消費の原理さえ崩す力を持っている。つまり、同じ性質、機能を持った製品が複数あるならば、一番廉価なものが売れるという原理を崩し、その善なるイメージによってより高価なものを買わせる力である。
     このような小考察でも、人間は、市場原理に忠実に動く経済人(ホモ・エコノミクス)というよりも、より社会道徳に適合的に生きる、もしくは社会道徳に規制される存在であることは容易に見えてくる。このことを当事者となる産業界が意識してきたからこそ、現状の「企業の社会的責任」は広がりを見せているのだし、実際に消費者に対して機能しているといえる。
    Flipper's Guitar 「three cheers for our side~海に行くつもりじゃなかった~」


    フリッパーズ・ギターのファースト・アルバム。
    フリッパーズのアルバムの中では、一番方向性、アウトラインが明確で、そういう意味で統一の取れた作品。それと、このファーストは、小山田、小沢以外にもメンバーがいて、五人だった時代の作品ですね。
    楽曲の作り方は、規制曲の一部分から引用してくる(サンプリング、リアレンジというのかな?)方法のようですが、現在聴く分には、元ネタとかは全く意識せずに、純粋に楽しめると思いますね。英語も何言っているのかいまいち分からないし、ヴォーカルも人によっては疑問符つけられるかもしれませんが、個人的には、全てが良い作品だと断言できます。

    中でも、初めて聴いて、火がついて、トリコになってしまったのが、「The Chime Will Ring」です。ファーストは、ビートルズに始まるような、同歌詞、メロディを繰り返すものが多いですが、これもそのような構成をしていて、単調かと思われますが、盛り上がりなどを意識して作られていて、全然退屈さを感じさせません。特に、ライヴヴァージョンは小山田、小沢の掛け合いが進化していてとても良いアレンジになっています。

    他に良い曲、お気に入り曲を挙げるとほとんど挙げてしまい、だったら最初から一曲ずつ並べたら、みたいになるのでここでは割愛します。全て英詩、且つポップでライトでおはじけな曲であって、とても気持ちよいフィーリングにさせてくれます。
    僕にとって、代替物、類似物のない一枚です。

    Merci bien, tabeline
    昔懐かし「ぼうぼうあたま」


    「ぼうぼうあたま」。聞いたこと、読んだことある方いらっしゃるでしょう。
    そう、あの激烈に怖い教育絵本です。

    本自体は、ドイツの精神科医、ホフマンという人が書いた古典的絵本です。
    しかし、そんなことはどうでもいい。何故、こんな本を保育園の多感なガキに読ませていたんだ、という、今考えても疑問符が付くほどの問題作。指切りおじさんや、ニコライおじさんの影におびえていた頃が懐かしい…。

    そういうことで、子供の問題行動を、精神的外傷を無理やり作ることで、封じ込めようとする、まさに「意欲作」で、内容も過激なのばかり。こんな荒教育は現代では無理ありそうです。どこぞのPTAなんかでは禁書扱いされているかも。
    以下、印象的な話を簡単に紹介します。

    ■飼いネコの制止を無視して、留守中に火遊びした少女。自分に燃え移って、灰に。飼いネコが、そこで涙をジャージャー流している。これはかなりコミカルな挿絵。

    ■黒人の子供を馬鹿にした、悪ガキが、ニコライおじさんにつかまり、インク壷に入れられ、真っ黒人間に。あわれ。ガキの頭掴んで、壷へ投入する、慈悲のないニコライおじさんが本気で怖い。

    ■親の注意を無視して指をなめる小僧。最後には、はさみ持ったおじさんに、指を切られてしまう。つうか、小僧の指なめよりも、おじさんの方の、傷害や不法侵入の罪のほうが大きい…。

    ■好き嫌いでスープを飲まない子供。ガリガリに痩せ、最後には墓の中へ。違うもの食べさせなかったのか、と親御さんの虐待を疑ってしまう話。

    ■嵐の中出かけた子供が飛ばされ、一つの星になる(消えていなくなったということ。ゼウスとか出てきませんよ)。これは、インパクトありました。故郷は風がホントに強いので心配だったのを記憶しています。


    というように、いうこと聞かない馬鹿ガキが、そのために罰を受けたり、具合が悪ければ、絶命してしまうという話。
    絵が、一つ一つ衝撃的で、面白怖い。そして、淡々と言葉をつなぐ、意味深な韻文的本文がより残酷さを引き出す。確かに、これを見せられると、指はなめないようにしよう。何が何でもスープは飲もう。飼いネコのいうことは聞こう。と思うはず。
    教育足りてない人がいたら、プレゼントしてみてもいいでしょう。
    Syrup 16gのうた


    現代人の生活を鋭く描く楽曲を数多く手がける三人組のロックバンド、Syrup 16g。
    僕は全部の曲を聴いているわけでもないですが、印象としては、ノイジーなまさにロックな感じより、スリーピースということもあり、なんとなく淡々としたメロディで、じっくり聴ける感じです。

    文法を疑いたくなるような英語を散りばめた、感じの良い曲ばかり聞いている人にとって、シロップの曲は、ガツンとさせられる、刺激の強いものだと思います。僕もそうでしたから。
    シロップの詩は、きつくいえば、ダーティで醜い、陰鬱なものをうたったものが多いです。それこそ、普通に売れている曲にはないものです。だけど、というか、だからこそ、スルーして聞き流せないものがあるのだと思います。周りの人に声を大にしていえないけれど、生活していく中で普通に心に抱いていること、こんなことを直球で突きつけてくる詩です。

    それなので、好き嫌いは結構分かれるのかな、と思います。明るく前向きに充実した毎日をおくっているような人には切り捨てられるものかもしれません。逆に僕みたいのが、余計にシロップに何かを感じてしまうのは、そんな生活から程遠い場所にいるから、ともいえます。
    以下、心に残る歌をメインにいくつか取り上げます(ポップでさわやか系な人は気分害すかもしれません。注意)。
    [Syrup 16gのうた]の続きを読む
    CMあらかると
     テレビCM、これは短い時間に、できるだけ印象を持ってもらうために、さまざまな技巧が盛り込まれた一種のアートになっている。それなので、結構CM自体を楽しんでいる方もおられるだろう。しかしそうはいっても、ただの情報提示のためのものから、それこそ芸術と呼べるものまで多種多彩である。一級のものは、グラフィックを重視した美観的なもの、笑いを重視したコメディもの、発想の奇抜さを重視したアイデアものなどに分類でき、世の中の話題をさらっていく。
     例えばコメディ系のもので、近頃良い出来だったのが、石原良純氏の出演している「カップ焼きそば」のCM。これには、笑いが起きる要素がふんだんに使われていた。放送も終了したようなので気軽に解説してみよう。
     まず、普段の氏とのギャップがあること。お天気キャスターやバラエティの姿勢と違って、CMでは最初からかなりのハイテンションで見るものを引きつける。「引き込み」の技術である。そして、「縁起がいいから踊る」というような脈絡のない突発的な乗り。このような、文脈のない不可解さ、思考外の展開は笑いを誘う。観客も「乗せる」技術である。最後に、予測された内容の裏切り。思っていることとは正反対のことが起きると、人はより注目する。このCMでは、すごい意気込みで「踊るぞ」といっているのに、直ぐに「踊るわけねえだろ」と裏切る。そしてさらに、最後には踊ってしまっている。つまり、ここには二重の裏切りがあり、この「ツイスト」は見事としかいいようがない。宮部みゆき「レベル7」並みといっていい。
     
     過去にも沢山良いCMがあった。それらを振り返えると、概して、良いCMは短命であると感じる。何故なら、そのものは良くても、うんざりするほど連続して見せられると流石に、飽きてしまうからだ。最近でいうと、「そんぽ24」とかは典型。印象第一のCMにとって、インパクトを保つためには、放映回数、期間を限定されることも重要なファクターといえよう。この意味で、真にCMの余韻を楽しむためには、テレビとの接し方も問題となろう。個人的にいうと、真田氏が飛んだり跳ねたりしてバスに乗る、サントリー膳のCM、良く分からないけど、外人が突如「IMAGINE!」とか絶叫し始める車(?)のCM(?。知っている方いませんよね?)とかは、もう一度見たい。さらに、「膳」が出てきたのでいうと、シリーズものも、当然ながらCMに付加価値をつける要素である。最近でいうと、「TEIJIN」とか「ライフカード」など。やはりストーリー性が大切である。付け加えると、続きはwebで、はよろしくない。Webで見ても面白さは半減する。合間合間の臨場性がなくては、形無しとはいわないが、物足りなさを感じる。
     CMはまだ論じたいことがあるので、機会があったらまた書きたい。これからも、秀逸なCMを期待して締めくくる。
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