芸術、書籍、音楽などのレヴュー。あるいは随筆。 - Revue de l'art, le livre, la musique etc, ou essai.
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    ミュシャ展 国立新美術館
    ミュシャの最大のライフワークであり歴史的大作のスラヴ叙事詩全20点を展示する企画展です。
    個人的は、この作品を見る目的で2013年にプラハのヴェレトルジュニー宮殿にいったことがあるので、思い入れの深い作品であり、しかも今までの来歴・経緯も多少知っていたので、この作品群がよもや日本で公開されるということにも非常に驚きました。
    過去記事:http://rapsodie.blog9.fc2.com/blog-entry-381.html

    当時の現地訪問では、ヴェレトルジュニー宮殿の1階の展示会場に10名程度の客しかおらず、ほとんどの作品を間近で一人で鑑賞できました。
    もちろん今回の展覧会は超人気展となっており、平日でもチケットカウンターやショップはずっと行列しており、内部も多くの観客でにぎわっていました。
    ただ、混雑で鑑賞できないレベルということはなく、巨大絵画であるので(ほとんどの人がひきで見るため)意外に至近距離ではゆっくりと鑑賞できるスペースがありました。

    スラヴ叙事詩展示の後は、パリ時代の作品が並ぶ章になっていました。
    もちろん、企画展のボリュームやミュシャの紹介という観点では良いのでしょうが、個人的には蛇足感が否めず、「ミュシャ展」が実質「スラヴ叙事詩展」というコンセプトであったなら、ない方が統一感があったと感じました。当然、本展は「スラヴ叙事詩展」と銘打っていないので私の批判はあたりませんが、欲をいうなら、メイン会場以降は、スラヴ叙事詩の関連作品(習作、デッサン、写真等)を扱って、「スラヴ叙事詩展」となっていれば文句のつけようのない企画展になったと思います。
    パリ時代のリトグラフや作品はこれまでの企画展で見たものが多く、多分に自分と同じ感想を持った方がいたのではと思います。

    また、日本の企画展ではあまりない、写真を撮ることが可能なコーナーがありました。
    今のスマホ、SNS全盛を反映している企画ですが、個人的にはこのような激烈に混み合う企画展では止めてほしいです。というのも鑑賞者が撮影者に遠慮しなくてはならなくなるような状況が多く生まれ、生の絵に向き合うという本来の目的がそがれるからです。
    大きな一眼レフを持ち込むガチな人や、絵の前に立って記念撮影する人など、スマホで一二枚控えめに撮るというような感じではない人も見受けました。

    スラヴ叙事詩は、最初の3作品が特に構図、空間の広がり、人物の連動感から見て素晴らしいのですが、一般にもそのような評価であると知りました。この前段3作は、現実世界の中に理念的な、ヴァーチャルな世界を重ねて描いている点が共通しています。特に、第一作「原故郷のスラヴ民族」は静謐でシンボリックな作品、対して第二作「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」は「原故郷~」の統一感や緊張感とは別ベクトルで、躍動的でやや乱雑さをもって鑑賞者を圧倒させるかのような作品で、この2作は好対照をなしています。
    他は、「ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々」、「ロシアの農奴制廃止」などの寂寞感や鬱屈とした大気表現なども個人的に好きです。
    絵画の鑑賞の仕方としては、もちろん画面を広く捉え、全体的に鑑賞することも大切ですが、個々の人物や装飾等にフォーカスして見るのもよいと思っています。このような超大作でも、当然のことながら、一人一人の登場人物の折り重なりによって、もっといえば筆のひとつひとつのタッチによって構成されています。多くは技術的なことになってしまいますが、絵に近寄ってタッチや絵肌を観察することで見えてくることがあります。この点でも第一作「原故郷~」は草むらのタッチなど遠くからでは分からない画面処理が見えてきます。

    今回は図録も貴重なものとなっており、スラヴ叙事詩を真正面から捉え、網羅的に解説した初の図録かと思います。書店でも広く発売しており、主催者側の意気込みも伝わってきました。
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    ティツィアーノとヴェネツィア派展 東京都美術館


    日伊国交樹立150周年記念の企画展で、表題のとおりヴェネツィア・ルネサンスの重鎮、ティツィアーノを中心に据えています。

    同じく、日伊国交樹立150周年特別展として、国立新美術館で「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展が開催され、ティツィアーノの代表作が日本で多く鑑賞できる機会が続いています。
    本展も、「ダナエ」「マグダラのマリア」「教皇パウルス3世の肖像」など、まさに教科書級の作品が一堂に会しており、豪華な内容となっています。
    また、ベッリーニ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット等、ヴェネツィア出身の巨匠の作品も展示を彩り、新美の展示とともに、華やかなヴェネツィア・ルネサンスを満喫できます。

    いつも感想として書いているのですが、ヴェネツィア・ルネサンスとくくられるなかで、やはりティツィアーノが傑出していることが今回も強く印象に残ります。
    ルネサンス絵画なのですが、たとえばその次のバロック期の肖像画の大家、ヴァン・ダイクと並べてみたとしても、ティツィアーノの肖像に古臭さや古典っぽさを感じない。
    量感を増すタッチ、色彩や人体・表情の表現は、通時的に魅力を保持しているようです。
    ミケランジェロが「ダナエ」に対してデッサンをなじったようなエピソードがありますが(これは後世の伝聞・伝記の域なので真偽不明。確かに「ダナエ」以外も「マグダラのマリア」上半身など人体デッサンに正確なのかと見えなくもない)、それはミケランジェロの求める域が高すぎるのであって、デッサン以外の人物表現や画面構成、色彩などはそれを補っても余りあるほどであるのは疑いようがないです。
    鈴木其一 サントリー美術館
    江戸琳派の絵師鈴木其一の企画展です。

    鈴木其一は、江戸琳派の大家酒井抱一の弟子で、その後継者である絵師です。
    抱一というとまだ江戸中期のイメージですが、鈴木其一の没年は安政年間であり、江戸後期、そして幕末にかかっています。こうしたことからも、江戸琳派を媒介し、近代日本画の萌芽となる重要な位置にいる絵師なのです。

    昨今の琳派ブームにあっても、やや抱一の陰に隠れてしまっている感もあって、私の其一に対してのイメージは漠としたままでした。
    今回の展覧会は、盛況かつ内容も充実しており、鈴木其一のオリジナリティやポジションを広く確立したものになった感があります。

    内容は、其一の代表作を集め、かつ抱一以下江戸琳派の絵師の作品も同時に紹介するものになっています。
    其一が師抱一から多くを吸収し、それを体現していった過程を見ることができます。
    また、独自の手法を模索し、さまざまな技法や画題に挑戦していったことも示されています。
    明暗をもった大胆な筆さばき(風神雷神図)、デザイン性やリズム感をもった表現(朝顔図屏風)、そして生き生きとした、ややサイケ感も感じる色調表現など。
    革新性をもった表現でも、古典の習熟、畏敬そして再解釈によって構成されており、鈴木其一の絵師としてのメンタリティ、プライドも感じることができます。
    ルノワール展 国立新美術館
    印象派画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールの回顧展です。
    オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵ということで、教科書級の折り紙付きの作品ばかりでした。
    ルノワールの個展は、2008年の「ルノワール+ルノワール展」(Bunkamura)、2010年の「ルノワール ―伝統と革新」(国立新美術館)と定期的に開催されていますが、本展は、ムーランドラギャレット、ダンスシリーズ、ピアノを弾く少女等が揃っていることで、この中でもクオリティ的には群を抜いている印象を受けます。これらに遡るマイベストの2001年の「ルノワール展」(ブリヂストン美術館)に比肩するものであったと感じました。

    個人的に注目する初期(1960年代~70年)、中期(1880年代)の作品についてはもちろん揃っていましたが、後期、晩期の作品も作品数があり、この点ではバランスよく画業を俯瞰する構成となっていました。また、肖像画以外の、風景画や静物画、デッサンもほどよく展示されていました。関連作品の展示もヴァリエーションがあって面白かったです。

    一般にルノワールと聞いてイメージされる作品の多くが、1870年後半から1885年くらいまでに描かれた作品ではないかと思いますが、やはりダンス連作など見ると、この時期の作品はデッサンと色のバランスや画面構成など細かく練られており、見ごたえがあります。特に、シュザンヌ・ヴァラドンをモデルにつかった「都会のダンス」は女性のラインとドレスを映えさせるために、男性を画面構成上の物体・道具として効果的に使っています(これは「田舎~」よりも明示的です)。また、「田舎~」と対置させることで、女性の性格やその場の雰囲気、物語性までも醸し出しています。このような面は、群像画でも発揮させており、「ムーランドラギャレット」や「船上の昼食」(本展には展示なし)などに結実しています。
    後期になると、タッチや画面構成などの趣きが変わり、デッサンよりも、肉体表現の量感や色彩に重要度がシフトしていきます。また、パリの都市性などが脱色された古典回帰のモチーフが増えていっており、この点も晩年の作品を語る上では見逃せないでしょう。ルーベンスなどに通じる、普遍的な価値としての裸婦や人体表現という意識がはっきりと見て取れます。上で言及したいわゆるルノワール画と違うので苦手とする方も多いのではないかと思いますが、ルノワールの多面性としての魅力になっていると思います。
    メアリー・カサット展 横浜美術館
    印象派の女流画家メアリー・カサットの回顧展です。
    日本での回顧展は35年振りだそうですが、メインに取り上げられる企画展もそうそうなく、ほとんどの人が彼女の画業を俯瞰する初めての機会になったのかと思います。

    一口に印象派の画家として語られることが多いのですが、最初から印象派グループに属して画法を吸収していったわけではなく、アメリカからパリに渡りアカデミーの絵画を学んだり(ジェロームやトマ・クチュールに師事)、スペイン、イタリア、オランダ等各地に赴いて巨匠の絵を研究したりして素養を積んでいっています。画家としてスタートした20代はサロンでの活躍を志向しており、ドガの先導により印象派に参加するのは30代からです。ということで、アカデミックな教育や趣向のもと、(印象派的なタッチの中にも)デッサン等の基本はしっかりとしており、この姿勢は後年になっても作品を見る限り変わっていないようです。おそらく、カサットとドガがお互いの作品に感銘を受けたのも、デッサンにあったように個人的には感じます。この点は、ほかの主要印象派画家の意識があまり向いていない点で、カサットがずば抜けている点です。展覧会では、この修行期の作品もいくつか展示されており、過去の大家からエッセンスを吸収しようとする姿勢が見て取れます。

    カサットと聞いてまず彷彿される母子像も完成度の高いものがいくつも展示されており、回顧展の充実度を高めていました。
    また、彼女が、油彩やパステル以外にも、版画作品を多く残しており、多色刷り銅版画など大変クオリティが高いことにも驚きました。印象派周辺の例外にならずカサットも日本の浮世絵からの影響を受けていたとのことで、主題や遠近感のない背景や装飾的な構成などにそれが表れていると感じました。
    関連作品の展示もあり、内容的にもよかったです。
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